【読書感想】金閣寺
あらすじ
物語の主人公「溝口」は、幼い頃から父親に「金閣寺はこの世で一番美しいもの」と聞かされ、金閣を美の象徴と思うようになる。
また、溝口は吃音持ちで周りから馬鹿にされていたため、引っ込み思案な性格であった。
「美しい金閣」と「醜い自分」に隔たりを感じていた。
時は戦時中であり、空襲によって金閣も自分も同時に消えてなくなるのだと、共に滅んでいくことを期待する溝口。
しかし、戦争が終わっても金閣が燃えることはなく、溝口も生き残る。
金閣がなくならないのなら、金閣の住職になって金閣を支配しようと思うが、僧との関係が上手くいかずそれも叶わなくなる。
そして、溝口は思うようになる。
感想
日本文学の代表的な作品ですし、好きなシナリオライターも「金閣寺を読むたび、その表現の美しさに感動する」と言っていたので、ずっと読みたいと思ってました。
でも、いざ読み始めたら読むのが苦しくなって、読むのを止めてました。
それは、自分も吃音持ちだから。
自分の人生最大の悩みと同じものを抱えた「溝口」。
吃音があるから人と関わりが持てないと言いつつ、何もかも吃音のせいにしてる感もあって、そういった所を私自身も自覚してるから、読んでいて苦しくなりました。
特に、溝口の友人として、足に障害を抱えた「柏木」という人物が出てきますが、彼は自分の障害のことを気にせず人生を楽しんでいます。
柏木が溝口にかける言葉が印象的でした。
柏木の言葉に、溝口はこう反論します。
そして、溝口は「金閣を焼く」という行為をしますが、それによって彼の中で大きな認識の変化が生じます。
それは、今までの彼からは考えられない大きな変化でした。
結局、「その人の人生観において認識の影響は大きい」が、「行為をすることでしか変わらない認識もある」、そんなことを感じました。
そして、溝口のようにコンプレックス意識が強くて自己憐憫に浸る人間を見ると、自分は客観的になれるといいますか、冷静にコンプレックスを気にしすぎだなと思いました。
とりわけ、三島由紀夫の美しい文章から紡がれる強烈なコンプレックスと、自らが劣等な存在であると思うほど対極の美しいものに執着してしまう感覚、その描写が凄すぎて、人間離れしていたのもあるかもしれません。
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