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幸せは質量保存じゃない

''僕の持っている幸せを全部あげたい''

恋人はよくそう言っていた。

幸せの量は決まっていて、それを使い切って死にたいのだと。

わたしにはよくわからなかった。

''世の中には、幸せを内側から生み出せる人がいる。大丈夫だよ。わたしはそんな人たちの余っている幸せや、世の中に落ちている幸せを拾えるから。○○くんの分は要らないよ。''

わたしもおかしなことを言っているかもしれないけれど、これはわたしにとっての正論だ。


恋人に言われたことを、友達に話したら

''いや〜それは違くない?幸せって、質量保存の法則じゃないから(笑)''

と笑い飛ばしてくれて、わたしの心がすっきりした。

それだ。

彼の幸せの定義は、少しばかり理系すぎる。そして退屈だ。

思い返せば、彼は多くの現象において、限度のようなものを決めがちだった。

''前職でここまでやったから''
''今の職場ではこれを覚えてやめる''

世の中、階段みたいに登れるわけではないんじゃないかな。

どんなにこの話をしても、彼には届かないし
''僕は僕なりに考えてる。hnは僕を否定している''
なんて言われちゃうから
わたしも何も言えなくなっちゃった。


''幸せってなに?''

職場の人と飲んだ時、そんな話になった。

きっかけは、わたしが
''人生で初めて四つ葉のクローバーを見つけたんです!''と見せたことだった。

先輩たちが
''平和だね〜''
''小さな幸せを見つけられるのっていいよね''
と微笑んでくれて、さっきの質問が飛んだ。

わたしが今気になっている先輩が最初に答えた。

''僕は、売り場が決まった時ですかね''

先輩の幸せは、売りたい商品を考えて陳列して、それがきちんと結果に繋がった時らしい。

そうそう、そういうこと。

幸せは生み出すことができる。

そして、幸せのひとつの答えをすぐに答えられる大人がわたしは好きだ。


高校生の頃、人生に悩んでいたわたしは
体育の先生に尋ねたことがある。

''幸せってなんですか?''

先生は、躊躇わず

''誰かに必要とされることかな''
と答えてくれた。

その答えも、わたしの心に刻まれている。

仕事、人間関係
何においても、''必要とされているか''をひとつの基準にしている。

そうでないと、無駄に頑張りすぎてしまったりするからね。

必要とされる場所で、最大限に能力を発揮することがひとつの幸せなんだ。


幸せの総量は決まってないよ。
わたしたちが生きている限り幸せは浮遊する。

溢れてくる時もあれば、足りないと感じる時もある。

溢れた時は、周りの人に分けてあげたらいい。
足りない時は、周りに目を向けて
溢れている人からもらったり
落ちているものを拾ったり。

そうやって、みんなでバランスを取っているんじゃないのかな。


恋人との出会いは、わたしにとってまたひとつ成長するきっかけになったな、とつくづく思う。

こんなにも考え方が違う人がいるのかと驚くこともたくさんあった。

そして改めて、わたしはわたしの考え方を大切にしたいと思うし
できれば近しい感覚の人と生きていきたいと思う。

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