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はじめての平穏っていうストレスから来る、落ち込んだ期間と客観視

1週間くらい謎の深い深い落ち込みがあったのだが、
それが
「人生の中の当社比で6ヶ月以上今まで受けていたストレスがなく、
新たな環境にも適応できており
幸せすぎることが無自覚にストレスになっており、
それを自覚できないまま
しんどかった時のように
止まってはダメだと現状の不幸(敵)を粗探しして
割と工夫したらどうにかなる不幸くらいしか見つからず
似た境遇の人を見かけて鼓舞されるどころか傷が開き
そんな自分に失望して
(本人は大真面目に頑張っているつもりだった)
凄まじく落ち込んでいた」

という話だ。
客観視すればなんのこっちゃ、
かなり「そんなことある?!」という感じだが、
いかんせんこんなに穏やかな日常が続くのが実は初めてだったのだ。知らなかった。

過去の記憶に比較対象がない以上、
それ以外の「常に今ないストレスに晒され続けている状態」が普通であったのだとまあ自覚したし、
それらが個人の感覚だと今以上に凄まじいストレスだったということがやっとわかった。
今考えると、今生きているのが不思議なくらい、本当に毎日毎日自我を追い詰められていた環境だった。

観測地点が増えたことで、
今の場所での己の心の在り方は、
前の状態の在り方のままでは、
やり方が合わず燃費が悪い、という感じで。

分かりやすく言うと、
「産まれてから今まで戦場にいた人」が、
「急にのどかな戦う必要のない場所で暮らし始めた」
ら、
そりゃ自分が望んだ平穏な場所なんだから分かっているつもりでも、
実は平穏を経験したことがないからどういうメンタルでいたらいいのかわからないし、
なんなら戦場にいた時のように常に周りを警戒しながら居ない敵を探しながらピリピリと暮らしていてもそれしか知らないのに燃費が悪すぎて。
戦場で目的や倒すべき敵がいるなら、それに向かっている、と実感出来るものは多少あったかもしれないが。

今は、現状に満足できるように整えまくった結果、
今すぐに戦う必要が無くなってしまって(そう望んだのだけど)、
今までの、死にものぐるいの中で目標を掲げて死なないようにとにかく頑張るしかない、というメンタルの保ち方をするフェーズじゃなく、

今の平穏をそれなりに享受して、楽しんで、常に構えていた銃を下ろしてゆっくりできるようなやり方を、
模索していってもいいのかもしれない、と思った。

この考えに至る前に、ある夢を見た。
具体的なことはなにがおきたのかかわからないが
家族とのことで、発狂レベルでしにたくてどうしようも無く酷く暗い気分になり、おそらく夢の中で暴れ、叫んでいた。
ふと思った、
「この地獄は知っている」「懐かしい」、と。

この地獄が日常茶飯事であった自分にとって、
あまりにも今、その地獄が遠く、普段は見えないところまで離れていることに気づいた。
頭では現状が幸せであることはわかっていたはずだったが、その時やっと、心で理解することが出来たようだった。
ちゃんと、その地獄は過去になっていたのだ。

思えば、SNSの活用法とかも
今までは、わりと自分と似たような地獄にいて、それに対して凄まじいエネルギーを持って何とかしようとしたり、
日々積み重なる暗い気持ちを吐露していく人達を見て、自分だけでは無いのだと己のさついと重ね合わせて勇気を得、己を奮い立たせていたという面が大きかった。

だが、今は戦場から脱したからなのか、
そういった「戦場で、死にものぐるいになっていて、その日々の呪詛を吐かねばやっていけない見ず知らずの他人」のSNSなどを見ると、
鼓舞されるどころか、己の中の最早血みどろの戦士を呼び起こし、今はいないはずの敵を探して、泣き叫び、錯乱してしまう、
といったような現象が最近散見されたため、

今まで見ていたそういったボロボロの戦士たちの呪詛を初めて見るのをやめ、

代わりに、日々や世界の一部を愛しているように見える投稿をSNSにしている人を見るのを増やした。
(そして淡々と返済している人達もそれはおなじだ。)

するとどうだろう。
使う言葉、視点、そういった物が徐々にだが、返り血や自分の血でボロボロの戦場帰りの戦士から、
腰にブツは携えてはいるものの、すこしだけ身綺麗にしてあったかい斑点を着て、
無防備な姿でお豆腐を買いに行けるような身軽さがすこーしだけ。
生活を愛する人達からまねっこできる感じ方や、未来にどんなものをそろえていきたいか、やりたいかのささやかな夢想で、
そういった気楽さを徐々に会得できているように感じる。
といってもやはり落ち込むことはあるので、吐き出すことはTwitterなどで無理に止めないようにはしようと思っている。
棚上げですまない。

産まれてから今まで戦場にいた人間が、すぐにそうでない場所でうまくやる、なんてのは、
そりゃ今までと違うってだけで、
心体丸ごと戸惑うだろうしそりゃストレスくらい溜まるし、
かなり無茶に近いことだったのだと
この度やっと体感し、まあまあ客観的することに成功し、頭で理解した。

だが、そんなハンデがあってもそれをゆっくりとでも、敵ではなく自分の愛するもの、これから愛していく生活へ、気持ちをきっと逸らしていける。
というかそっちに舵をきっていきたいと思う。
完全にとはいかずとも。

この話を友人にしたら、
「そんなワーカホリックのストレス版みたいな…」と言われた。わかりやすい。

己が環境の変化で、今までの先入観や生きてきた環境が違うために溜まる隠れストレスで、こういったことにふたたびならんこともないかもな、と思ったので、日記兼未来の自分用に残しておく。

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