見出し画像

天敵彼女 (27)

「私のせいでこんな事になってしまって、本当にごめんなさい」

 都陽という子は、いきなり俺に頭を下げた。とりあえず、簡単なスペックだけでも確認したかった俺は、あくまで聞き役に徹した。

「とりあえず、どういう経緯で何が起こったのか教えてもらえますか? あ
と、奏との関係もお願いします」

「あっ、分かりました。まず、私は奏ちゃんとは中学高校と一緒でした。ずっと仲良くさせてもらってます。高校でも同じクラスで、私の志望大学のオ
ープンキャンパスにもついてきてもらったんです」

 この時点で、都陽という子は奏と同学年なのが確定した。

 驚愕を禁じ得ないが、内心の動揺を悟られる訳にはいかない。

 俺は、興味の対象をオープン何とかに集中した。

「という事は、例の実習生の?」

「そうです。私のせいであの人が奏ちゃんに……」

 都陽という子が泣き出した。かなり自分を責めているようだ。肩を震わせ
しゃくりあげる姿に、俺は何も言えなくなった。

 人間誰しも失敗をするものだ。こんなに反省している子をいつまでも責め
続ける事は出来ない。

 奏が都陽という子の肩を抱いた。今回の事は、二人の友人関係に深刻なダ
メージにはならなかったようだ。

 俺は内心ホッとしていた。もうこれ以上聞かなくてもいい気はしたが、こ
こからはずっと黙っていた都陽という子の父親が説明してくれた。

「うちの娘が連絡先を漏らしてしまったのは本当に申し訳ない。それがなけ
れば奏ちゃんも慣れた学校に通い続けられたと思うと、何と謝ればいいの
か」

 都陽という子の父親が俺に頭を下げた。母親も隣で同じようにしている。

 都陽という子は、まだ泣き止んでいなかったが、両親の隣に並んで同じよ
うに頭を下げ始めた。

 直接の被害を受けていない俺にとって、この状況はさすがに気まずい。

 俺は、都陽という子一家の謝罪をやめさせようとした。

「やめてください。奏から大体の事情は聞いてます。相手は教育実習に来て
いた人ですし、普通おかしなことにはならないと思うでしょうから」

「そう言ってくれると娘も救われるよ。申し訳ないけれど、これから奏ちゃ
んと一緒に娘と仲良くしてくれるとありがたい。この子は、ずっと女子校に
いたから、男性に免疫がないというか、どうにも無防備な所があるんだ。多
分、今回はそういう所をうまく利用されたんだと思う。私はこの子が可愛く
てしょうがなくてね。余りにも過保護に育て過ぎたのかもしれない」

「そんな……それより、娘さんは大丈夫だったんですか? 奏にストーキン
グするような相手だけに、初めに仲良くなった都陽……さんが俺は心配なん
ですが」

「いや……娘は特に何も被害は受けていない。あくまで、同じ大学を志望し
ている高校生に情報提供をしてくれただけらしい。それだけに、彼が奏ちゃ
んに何の目的で近づこうとしていたのか、娘は気付けなかったようだ。娘
は、そもそも男性と接点がなかったみたいで、男に色目を使われることがな
かったというか……とにかく、それは世間知らずに育ててしまった私の責任
でもあるんだ。本当に申し訳ない」

「いや、それは。仕方がないというか、女子校だった訳ですし……」

 俺は、何とか核心に触れないようにした。都陽という子は、どんな育ち方
をしていたとしても、男の怖さを知らないまま育っていただろう。

 恐らく、かなり特殊なタイプを除いて、都陽という子にそういう意味で興
味を持つ男はいない。

 人間、実際に経験していない事を理解するのは難しいことだ。都陽という
子が男について学習する機会がなかったのは本人の責任ではない。

 俺にははっきり断言は出来ないが、それは生育歴の問題というより発育の
問題じゃないかと思う。

 俺は、今回の出来事は不可抗力が重なった結果なんだと理解した。

「自分を責めないで下さい。どうしようもない事が重なっただけですよ。誰
が悪い訳でもない。悪いのは、ストーカーだけですよ」

「そう言ってもらえると……私は、出来れば大学も女子大に行って欲しかっ
た。でも、ずっと親が子供を守ってやれる訳じゃない。自分で自分を守れる
ようにならなければ、この子が困る事になる。私は、いつまでも娘を男から
遠ざけるばかりではいけないと思うようになった。今回の事で、私は考えを
改めたんだ。だから、娘の転校も許した。今日お邪魔させてもらったのは、
奏ちゃんだけじゃなくて君にも娘の事をお願いしたかったからなんだ。奏ち
ゃんの事で大変かもしれないが、学校に慣れるまで気にかけてやって欲し
い。お願いします」

 都陽という子の父親が何とも言えない表情を浮かべた。出来れば、娘をい
つまでも自分の手元に置いておきたいが、いつか子供は巣立っていくもの
だ。

 きっと今でも心配で仕方がないんだろう。娘が一歩踏み出す事を認めなが
らも、抑えきれない保護欲がにじみ出ていた。

 これは、決して口には出せないのだが、俺は都陽という子に会ってみて、
今回の事は仕方がないのだと思うようになった。

 仮に、奏がターゲットだったとしても、男に無防備な雰囲気を出している
同級生を第二希望としてキープするのはありがちな事だ。

 今回そうならなかったのは、都陽という子が余りにも(自主規制)だった
事で、元実習生が純粋な親切心で接することが出来たためだろう。

 天敵のターゲットからナチュラルに外れてきた都陽という子にとって、男
に対する警戒心を育てる事はきっと難しい事だったに違いない。

 そんな子が不用心な行動をとることを誰が責められるだろう。

 俺の中で、都陽という子を咎める気持ちが急速にしぼんでいくのを感じ
た。

 それに、この子は自分のした事の責任を取るために、慣れない共学に転
校……そこまで考えた所で、俺は大変なことに気付いてしまった。

 えっ、この子も転校して来るの?

 俺、これから奏以外の女子とも関わるって事?

 どどど、どうしよう。この子、結構扱い方が難しいと思うんだけど……。

 俺は、内心パニックになっている事を奏以外に悟られないように努めた。

 この子は、奏にとって大切な友人だ。

 奏と関わる以上、俺も都陽という子にそれなりに接しなくてはならない。

 奏は家族カテゴリーで天敵認定を回避しているが、都陽という子に関して
は(自主規制)に触れない訳にはいかない。

 この子は(自主規制)だから、天敵にはなり得ないと思うのが最も妥当な
やり方だが、それには大変な危険を伴う。

 例えるなら、それは火薬庫の中で日常的に火器を取り扱うようなものだ。
万が一にも、(自主規制)だと思ってることがバレたら大惨事になる。

 どんなに(自主規制)でも、相手は天敵だ。機嫌を損ねればどんな目に遭
うか分からない。

 一瞬、俺の脳裏に磔にされた自分の姿が浮かんだ。

 舞台は中世の暗黒時代。俺の首には、紐を通した木札がかけられている。

 役人が罪状を読み上げる中、群衆が俺を口々に罵り、石を投げつけ始める。

 木札に何が書かれているのか俺には分からない。

 俺は、何をしてしまったのか? 足元にうず高く積まれた薪に、今にも松
明がくべられようとしていた。

 許しを請う俺を冷たい目で睨む一人の少女。本当に、本当に、本当に幼い
見た目をしているが、その子は一人だけ豪華なドレスを着ていた。

 思わず頭を撫でたくなるような、目線を合わせる為に衝動的にしゃがみ込
みたくなるようなフォルムをしているが、俺の命運を握っているのは間違い
なく目の前にいるこの(自主規制)だ。

 俺は、なりふり構わずに懇願した。声を枯らし、命だけはと叫び続けた
が、その子は俺をゴミでも見るような目で一瞥し、首を横に振った。

 駄目だ。絶対に駄目だ。

 都陽という子に、俺の本心を知られる訳にはいかない。出来れば、関わり
たくはないが、奏の友達を無下にも出来ない。

 普通の女子でも大変なのに、こんな特殊な事例どうしたらいいんだ?

 俺は、思わず奏に助けを求めた。

 た・す・け・て……そう目で合図すると、奏はすかさず助け舟を出してく
れた。

「峻、大丈夫? 辛くない?」

 俺は、すかさず都陽という子と距離をおかざるを得ないストーリーを作り
上げた。

「ごめん。ちょっと具合が……すみません。俺、女性恐怖症があって、折角
来てもらったのに何かすみません」

 都陽の両親に俺は頭を下げた。

 父親はそれでも何か言おうとしたが、母親がそれを制した。

「ごめんなさいね。あなたの事情も考えずに……娘の事は、気にしないで下
さい。今回の転校は都陽が自分で決めた事ですから」

「いえ、今は初対面で緊張しているせいで、いつもよりちょっと強く症状が
出ているだけなので、慣れれば多分大丈夫です。奏の大事な友達なので、ちょっと他人行儀になってしまうかもしれませんが、俺が出来る協力はしたい
と思ってます」

「そう言ってもらえると嬉しいけれど、大丈夫?」

「ええ、大丈夫です」

「じゃあ、お願いしますね」

「分かりました」

 俺は、何とか都陽という子周辺に俺の事情を周知することに成功した。

 本人がどこまで話を聞いてくれているのか俺には分からないが、最終的に
は奏がうまく取りなしてくれるだろう。

 何だか情けない気がしたが、今日はこれで良しとしよう。

 俺は、その後はひたすら聞き役に徹した。俺が知らない奏の人間関係の中
に何とか馴染もうと思ったからだ。

 幸い、都陽の両親は良い人のようで、ちょっと癖のある自己紹介をした俺をすんなり受け入れてくれた。

 相変わらず、都陽という子との距離感は残ったままだが、色んな意味でそ
のままでいいと思った。

 幸いな事に奏との仲は極めて良好で、お互い話が尽きない様子だった。こ
の子がいてくれれば奏は寂しい思いをすることはない。

 嬉しくなった俺は、見送りの際都陽という子によろしくと言った。

 それに対して、都陽という子は消え入りそうな声でよろしくお願いしまし
ゅと言い残し車に乗り込んだ。

 それからすぐに車が動き出し、うちの駐車場を出た所で止まった。しばら
くすると後部座席の窓ガラスが開き、都陽という子が顔を出した。

「後ろっ!」

 俺は思わず叫んだ。

 次の瞬間、驚いて振り返った都陽という子が、慌てて顔を引っ込めた。

 車のすぐ横をすり抜ける自転車。俺は、思わずため息をついた。

 バツが悪そうにしている都陽という子に奏が手を振った。

 都陽という子は、さすがに懲りたのか、車の中から控えめに手を振り返し
ていた。

 悪い子じゃない。悪い子じゃないんだと俺は自分に何度も言い聞かせた。

 都陽一家の車がもうすぐ見えなくなるタイミングで、奏が俺に言った。

「今日はありがとね」

「こちらこそ。でも、何だかホッとしたよ」

「どうして?」

「俺がずっと付いてられるいられる訳じゃないから、女の子の友達が一緒に
転校してくれるのは本当にありがたい」

「そう?」

「うん」

 俺は、俺なりに表情を緩めた。

 玄関先に並んで立っていた俺達は、どちらからともなく歩き出した。

「あの子、いい友達だね」

「うん」

 俺は、微笑む奏を見て(自主規制)を徹底する事を心に誓った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?