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バンドに人生変えられた話

【ロックバンドに出会って人生が変わってしまったことを振り返っているだけの雑文】

 あのとき自分の人生が変わった、と明確に指摘できる瞬間を、いくつ挙げることができるだろうか。

 私はたったひとつである。
 2014年4月13日。
 鴉というロックバンドに出会った瞬間である。

 きっかけは極めて些細なことであった。当時から入り浸っていたTwitterで、友人が1曲のロックを勧めてくれた。「夢」という曲である。ドラマ「怨み屋本舗REBOOT」の主題歌だといえば、伝わる人には伝わるかもしれない。

 聴いた。
 これは格好良いぞ、と、直感した。

 3日後、近所のレンタルCDショップに駆け込んだ。音楽のサブスクが一般的になるよりも前の話である。そう言ってしまうと突然時代を感じるが、もう10年近く前のことなのだから致し方ない。

 ファーストフルアルバム「未知標ミチシルベ」を借りてきた。
 聴いた。
 その中に、「黒髪ストレンジャー」という曲があった。
 射抜かれた。
 真っ逆さまに突き落とされた。

 もともと音楽は好きであった。とはいっても流行りものをあれこれ追いかけるのではなく、気に入ったアーティストを偏執的に聴くようなタイプだった。前述のレンタル店にはときどき通っており、借りたCDをiTunesにせっせと移しては通勤電車で聴いていた。
 激しい曲が好きである。キーの高い男性ボーカルが好きである。暗い曲が好きである。恋愛色の薄い曲が好きである。
 漠然とした音楽の好みを、全部まとめて真正面からぶつけられた。私のストライクゾーンはここにあったのだと、突然思い知らされた。

 それが、鴉というバンドであった。

 秋田県出身のスリーピースロックバンドである。出身どころか現地在住である。にもかかわらず、東京や名古屋や大阪までやってきてワンマンライブをするようなバンドである。秋田県に住みながら全国で活動するバンド、というのがお決まりの自己紹介文句だ。

 私は関西人である。子供の頃は関東に住んでいたこともあるが、人生の2/3以上は関西弁を喋って生きている。父は滋賀、母は島根の出身で、いずれも西日本の人間だ。つまるところ、東北地方に馴染みがない。縁がない。それはもう、一切無い。
 秋田県。
 そこまで物理的に遠い場所に居るバンドに惚れたというのは、なんだか不思議なことのように思えた。

 借りたり買ったりDLしたり、音源が着々と増えていった。好きな曲が増えた。そして私は着々と深みにはまっていった。
 曲調も声も好きだった。仄暗い雰囲気が好きだった。メンタルがどん底だった頃にも、イヤホンに閉じこもるようにして聴いていた。変に明るい曲で励まされるよりよほど救われた。
 いつしか、鴉のライブに行きたい、と思うようになっていた。とはいっても、ライブの参戦経験といえばせいぜい大阪城ホールのスタンド最後列くらいだ。アーティストとは米粒くらいのサイズ感で見るものだと思っていた。キャパシティ200人のライブハウスなんて行ったこともない。ぎゅうぎゅう詰めになって、至近距離で見るライブなんて想像もできない。

 けれど。
 この音を生で聴いてみたい。
 そんな憧れが、日に日に募っていった。

 そして迎えた、2015年冬。
 なにげなくアクセスした公式HPに、ワンマンツアーの告知を見つけた。
 その日程の中に、大阪があった。平日ではあったが、定時で上がればなんとか間に合いそうだと、気づいてしまった。

 私は。
 人生で初めて、ライブハウスの扉をくぐる選択をした。

 単身、仕事終わりのスーツ姿である。いま思うと浮いていたのではないかと思うのだが、高揚していてそれどころではなかった。
 行儀良く前に詰めた結果、上手側3列目あたりに陣取っていた。ステージの近さに動揺しているうちに、照明が落ちる。SEが掛かる。メンバーが現れる。
 あとはもう、覚えていない。音を浴びた。音に呑まれた。何度も何度もイヤホンで聴いた曲。初めて聴く曲。否、聴くのではない。音楽とは頭から全身で浴びるものなのだと、強制的に理解させられた。
 終演後、物販でグッズをひとつ買った。欲しいとか使うとか必要だとかではなく、ただ「応援したいから」という理由でグッズを買ったのは、これが初めてのことだった。

 数日間、ほとんど酔ったような心地で過ごした。
 気がついたら同じ曲ばかりをリピートしていた。それまで通り過ぎていたはずの曲が、ライブをきっかけに「推し」に昇格したことを悟った。

 そこからはもう、一気だった。
 大阪でライブが開催されるとなれば足を運んだ。
 ギター一本の弾き語りライブにも通った。
 大阪だけでは飽き足らず、名古屋に行き、東京に行った。これが私の人生初遠征である。なお現在に至っても、遠征するまでに追いかけているバンドは鴉以外にない。
 遂に真冬の秋田空港に降り立ったとき、もう戻れないところまで来てしまったことを自覚した。引き返すどころか全力で進み続けた結果、現場で会う馴染みのファン仲間ができ、マイルが爆速で貯まった。

 2020年からは、試練の2年間だった。
 件の流行病で移動が制限された。ライブハウスはほとんど目の敵にされていた。その年の4月に秋田で予定されていたワンマンを心待ちにしていたのだが、世情を考慮した結果、文字通りに泣きながら不参加を決めた。そのライブは結局中止になり、代わりに無観客配信が実施された。少し救われたように思い、けれどそう思ってしまったことがひどく複雑だった。
 その日から、ライブは配信だけになった。切ない気持ちで画面に拳をあげる日々が続いた。

 ライブの参戦が叶わなかった期間に、私は初めてふるさと納税をした。もちろん秋田に、である。我ながらぶっ飛んだ発想だったが、そういうことでもしなければ、気持ちの持って行き場がなかったのだと思う。
 初めての返礼品は、伝統工芸品のシンプルなネックレスだった。お守りのような気持ちで選び、今も大事に使っている。

 引っ越しもした。
 どこに住むかと考えたとき、真っ先に考えたのは「遠征がしやすい場所」だった。飛行機や新幹線やバス、あらゆる交通機関に、可能な限りアクセスしやすい場所を選んだ。おかげで不動産会社の担当者に「秋田のバンドを追いかけまわしている」ことを白状させられる羽目になった。悔しかったのでちゃっかり布教したところ、後日ご夫婦で聴いてくれたと聞いて物件を契約した。

 ライブハウスの扉は、やがて再び開かれた。
 まず秋田県内在住者の来場が許された。その後しばらくしてから、ようやく県外民の参加も解禁された。2021年10月のことである。私が参戦できた最後のライブから、1年10ヶ月が経っていた。
 久しぶりに駆けつけた秋田のライブハウス。私は終演後のフロアで泣いた。

 それから更に半年後。秋田県内のみに留まっていたライブが、東京でも再開した。
 そして2023年8月20日。実に3年9か月ぶりに、大阪でのワンマンが開催される。

 私を単身ライブハウスにいざない、各地に遠征させ、ふるさと納税をさせ、住む場所を決めさせたバンドである。これが、人生を変えられたと言わずしてなんなのか。

 あのときあの曲を再生したから。私は音楽を浴びる快感を知り、遠征の楽しみを覚え、縁もゆかりもなかったはずの土地の力になりたいと思い、自分にとって快適な街を見つけた。
 人生、なにで変わるかわからないものである。

 2014年の冬、初めて行った大阪のライブハウス。
 2023年の夏、久しぶりに行く大阪のライブハウス。
 私はすっかり変わってしまって、それでも同じように、音楽に胸を躍らせている。

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