2Q2Qのマインドフルネス

君がnoteに投稿された記事を読もうとしていることについて、僕は何もいう権利がないし、読まずに閉じてしまっても構わない。村上春樹の文体模写をしていることに大きな理由はないし、それでもし気分を害したとしても何の反論もできないし、批判も受け入れる。つまり今の君には無限の選択肢が存在しているし、君の自由意志で最善の選択をしてほしい。

でも僕は記事を読んでほしいから、今から綴っていく。タランティーノやノーランの映画のように長くなってしまうが、最後まで読んでくれると嬉しい。まずは順を追って話したい。2500年前の話からはじめよう。

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今から2500年前に仏教が発祥したと言われている。
日本の寺院はありふれた光景になっているが、元々はインドで生まれ、中国を経て日本にやってきた。でもその前に西洋にも仏教が渡っていて、それなりに流行ったそうだ。西洋、インド、中国、日本で作られた仏像はそれぞれお国柄が出ていて趣深いという話もあるのだが、今話したいことじゃないから割愛する。

徐々に本題に入っていく。
仏教の修行の中に瞑想という行為がある。聞いたことがあるだろうし、実際にやった人もいるかもしれない。
瞑想は、座って目を閉じて、雑念を捨てて、呼吸に意識を整える。聞けば簡単に思えるが、実際にやってみると雑念が無限に湧いてきて、難しさを知ることになる。
一方で瞑想を習慣にしている人もいるし、勧める人もいる。かのスティーブ・ジョブスやイチローも瞑想をしてるという。マサチューセッツ大学ではいち早く瞑想について研究し、マインドフルネスという新しい概念を作り出した。マインドフルネスにはストレス軽減、睡眠の質、人間関係、集中力の向上が期待される。GoogleやFacebookでは企業研修としても取り入れている。

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ここからが本題だ。あれは確か8月だったと思う。
僕はストリートアカデミーというメディアを通じて、マインドフルネスの講座を受けることにした。もともと講座なんて受ける気はなかったけれど、暇をしている僕を見かねた妻が講座に行けとけしかけたのだ。

日曜の午前10時、新宿NSビルのタリーズコーヒーにて、僕は講師と待ち合わせをした。一番奥でテーブルを二つ重ねた席で講師が先に座っていた。
「はじめまして」と講師は柔らかな笑顔で挨拶をした。僕は軽く頭を下げた。きっと講師からすると愛想のない男が来たと思っただろう。そもそも僕はマインドフルネスという怪しげな概念を訝しんでいたし、何が変わるとも思っていなかった。
「僕はマインドフルネスのことは何も知りません」
「マインドフルネスはいわゆるメタ認知です」
「メタ認知」
僕はオウムのように繰り返した。
「仕事で苛立ったとき、落ち込んだときに適切な判断ができるかな。冷静になったとき、振り返ってあの時こうすれば良かったと思うことはありませんか」
どちらかというと怒りっぽい方だし、すぐに結果を求めて早計になることがある。その課題のソリューションになるのであれば、マインドフルネスはとても魅力的に思えた。僕は態度を改めて、講師の話を真面目に聞くことにした。いくつかのワークショップもこなした。

日常的にマインドフルネスな状態を保つために必要なことは三つあると講師は説明した。
一つ目は深呼吸をすること。深呼吸にもやり方があって、4秒で吸って、1秒止めて、8秒で吐く。これを7セット繰り返す。つまりおおよそ90秒の深呼吸をやることになるのだ。
「90秒もやるんですか?」
「はい、90秒もやるんです」

二つ目は瞑想だ。瞑想は家でやることになるが、瞑想は椅子に座ってもいいし、あぐらでもいい。目を閉じて雑念を捨てて、5分ほど呼吸に意識するのだ。慣れてきたら時間はもっと伸ばせばいい。
「瞑想をやるとどんな良いことがあるんだろう」と僕は質問した。
「瞑想後はデフォルトな状態になれます」
仕事や日常生活での問題や課題で頭がいっぱいなとき、何から手をつけて良いか分からなくなるときがある。そんなときに瞑想をすると、気持ちがデフォルトになるそうだ。積み重なった課題を冷静に整理して、対処できるようになる。
「でも瞑想には流派があります」
「流派?」と僕は聞き返した。
「組織が大きくなれば、内部で意見が割れて、複数の瞑想方法が生まれる。だから私と違う講師は、私と違う瞑想方法を教える。でもそれは自然なことなんだ」
「子供が変声期を迎えるように自然なことなんだね」
講師は深くうなづいた。イスラム教もスンナ派とシーア派に分かれているし、ハルキストも作品によって支持者は分かれる。大勝軒だって暖簾分けの店舗もたくさんある。分派は自然なことのように思えた。

三つ目はジャーナリングをやること。ジャーナリングはいわば自己分析に近いワークだ。日常ではあまり考えない深い質問、例えば「理想の自分は?」という質問について5分考えて紙に書き出す。そのあと自分の回答を2分俯瞰して、コメントを紙に書く。その内容を誰かにシェアするのだ。
「ジャーナリングをやると新しい気づきがあります」
「まるでその瞬間から自分が変わるのだろうか」
講師は両手を広げた。
「見える世界が変わり、視野が広くなるのさ」

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まとめよう。ジャーナリングで己を知る。深呼吸をして、日常の合間に落ち着きを取り戻す。瞑想をして、精神を鍛える。これを毎日の日常のなかで取り入れようというのだ。

「今日の講義はとても良かった。でも気になることがある」
「なんでも聞いてほしい」と講師は言った。
「今日のワークは良かったけど、明日から一人で続けられる気がしないし、高いお金を払ってマインドフルネス教室に通う気もない。どうしたらいいだろう」
講師は柔和な笑顔を見せた。
「あなたがマインドフルネス勉強会を開けばいいのさ」

僕はひどく困惑した。今日はじめてマインドフルネスに触れたわけだし、素人も同然だ。そんなことができるわけがないと反論した。
「じゃあ本を二冊紹介する」
講師はスマホの画面を見せた。

・『サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』
・『シンクロちゃん』

「分からないな」
僕は首を振った。本を読んだところで勉強会の講師になれるわけがないと思ったからだ。それに二冊目は漫画みたいでふざけているように見えた。
「シンクロちゃんを訝しんでいるね」
「当然ですよ、マインドフルネスと関係ないじゃないですか」と僕は激昂した。
「マインドフルネスを続けるとシンクロが起きるよ」と微笑みながら講師が答えた。
「あなたが望むことが勝手に起こる現象、それがシンクロ。あなたがほしいと思ったものが自然と舞い込むようになるよ」
「馬鹿にするのも良い加減にしてください、だいたいぼくは…」
「さあ、そろそろ講義も終わりだ。明日から君の日常は変わるよ」

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「あなたがマインドフルネス勉強会を開けばいいのさ」
二週間たった今も、講師の言葉がリフレインしている。僕は部屋で瞑想をしていた。たしかに瞑想後は気持ちがすっきりするし、思考が整理される。紹介された本もたいへん面白かったし、悔しいことにマインドフルネスを誰かに紹介したい気持ちが芽生えはじめていた。
特にジャーナリングもやればやるほど新しい自分の発見がある。一方で時にジャーナリングは忘れかけていた思いや、振り返りたくない苦い思い出も掘り起こさせる。まるでペニー・ワイズのように深層心理に迫りくる。たとえ思い出に血が流れようとも、後々、自分の血となり肉となり、将来を決める指針となるだろう。
ジャーナリングは一人でやることもできるが、ワークショップとして複数人で行って、シェアしあうのがいいのだろう。自分の考えを人に伝え、他人の意見も聞く。そこに否定も肯定もジャッジも存在しない。ただマインドフルネス(注意深く)に聞くだけだ。深い胸の奥に閉まった思いをシェアしてみないか。

僕がマインドフルネスについて語りたいことは以上になる。とても長くなってしまったし、最後まで読んだくれた人がどの程度いるのか分からない。でも僕は現にマインドフルネス勉強会を秘密裏に立ち上げたし、紆余曲折ありながらも活動は順調に進んでいると思う。
もしマインドフルネスに興味を持っていたり、実はものすごく詳しい人がいたら僕に教えてほしい。きっと日常に変化があるはずだ。
でもそれは君の自由意志で選択してほしい。
最後まで読んでくれてありがとう。グッドイヤー・アンド・ホワイトクリスマス。


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