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【連載小説】黒き夢みし vol.19

 その日は次元からたくさんの話を聞いた。最初次元は少し照れるような態度を見せたものの、自分の興味分野を話すのは好きらしく、聞けば聞くだけ教えてくれた。しかし内容を理解することは至難だった。
次元の物腰はとても柔らかく質問すれば答えてくれるが、分からない人に合わせて教えるということは苦手のようだった。自分の知っていることは他の人も知っているという前提で話すため、説明を聞いても何が何だか分からなかった。
ただでさえ眠気との闘いである夜勤の時間に、初めての用語や仕組みや技術の話をされると眠くなるだけであった。でも楽しそうに話してくれる次元を見ていると眠そうにする素振りは失礼に思えたので、ふんふんと聞いていた。
 また次元は夜勤時の安心感ももたらしてくれた。
いつ何時、監視対象のシステムが障害を起こすか分からないので、明彦たちのように夜の時間も監視する要員が配置されている。障害が発生しない日もあるが、地震と同じでいつやってくるか分からないので気は抜けない。しかし次元は予兆を検知するツールを独自に開発し、社員の了承を得て試験的に導入していた。また障害発生時も対応を簡略するためのツールも開発しており、障害発生時はそれを実行すると対応が一瞬で完了するという優れものであった。明彦は次元に尋ねた。
「このツールは全員が使えるようにしないのですか?」
 次元は腕を組んで少し考えていた。
「このツールの中身を理解できる人がいないんじゃないかと思ってね」
「どういうことです?」
「運用に乗せるということは全員が内容を理解して、同じ動きができないといけない。だからツールを使うなら、ツールの中身を理解していないと不具合があったときに対応できなくなる。でもこのツールを全員が理解できないと思う」
 シャドウも分からないかと明彦は尋ねた。
「一部の人間がわかっても仕方ない。有償のアプライアンスだったら不具合があればメーカーの責任だからそれでいい。だけど個人で作ったものが、おおよそ期待通りの動きをするからといって導入してしまうと、何か不具合があったときに責任が取れないからね。だから今のところ自分しか使えない」
「そうなんですね」
 明彦は次元の話を聞きながら半分納得しつつも半分はそんなこともないのではないかと思っていた。期待通りの動きをしなければ、旧来の運用方法に戻して対応すればいいだけだと思った。ただ疲労感と経験値の浅い意見だと思ったので反論はやめておいた。

 次元との夜勤を終え、明彦は帰路についた。帰り道は明るい。早朝の爽やかな太陽は柔らかな日差しを地上に注ぐ。シフト的には二日休んで夜勤だ。この二日をどう過ごしたらいいのだろうか。元気であれば、このまま食事をしたり遊んだりして帰ることもできるのかしれないが、眠気には勝てなかった。家に帰ると泥のように眠った。
目が覚めると夕方になっており、日が暮れかけている。何をする気もなれず、とりあえず冷蔵庫にあるものを食べ、パソコンを開きネットサーフィンした。そういえばマルイが日課で毎日ニコニコ動画をチェックすると言っていた。明彦はネットに繋ぐととりあえずYahoo!ニュースをチェックしていたが、ニコニコ動画もチェックしてみた。雑多に並んでいる動画コンテンツの何をみていいのか分からなかったので今度マルオに聞いてみようと思った。
 いよいよ外は真っ暗になり、外出してもコンビニのような二十四時間営業店以外は閉じている。ずっと家にいるのも精神衛生上良くないと思ったので外出してみたものの、ただ夜の街を徘徊するだけであった。夜型の活の休日とはいえ、何かやることがないと一瞬で一日が終わってしまうのではないだろうか。その懸念通りに夜は明けていき、焦燥感とともに二日の休みはあっという間に過ぎた。

金曜日の夜、二日休み明けの夜勤日がやってきた。今週から夜型生活をしているので初日に比べれば眠れているはずなのだが、なんだか体がだるい。顔にも吹き出物ができている。夕方五時に起床し、シャワーを浴びて出社した。
 金曜の夜のオフィスに着くとそこには誰もいなかった。前回ならシャドウが待っていてくれたのだが、もう二回目なのでいないのかもしれない。無人のオフィスで自席に座ると、隣の部屋でガチャリと扉の開く音がした。隣の部屋から物音がする。
「おー、夜勤お疲れ!」
 狸部長が隣の部屋からやってきた。火曜の朝に厳しく叱責を受けた記憶が残っているので明彦は狸部長とはしばらく距離を置きたい気持ちがあった。しかし狸部長はその記憶を忘れているのか、上機嫌に明彦に話しかけた。
「急に夜勤とか大変だよなあ。障害ない時は時間あるだろうから、そこらへんにおいてあるサーバとかスイッチとか好きに触って勉強してくれていいから!」
「はあ」
「そして今日飲み会なんで、みんな早々に引き上げてるんだわ。良かったら来る?」
「いや、これから夜勤なんですけど」
「障害起こったら駆けつければいいじゃないか。はっはっは」
 狸部長は上機嫌に笑っている。明彦は狸部長の言うことが本気なのか冗談なのか分からなかった。明彦が困っているとドアが開いてマルオがやってきた。狸部長の姿を見てマルオの顔が少し緊張しているのが分かった。
「おつかれさまです」
「おお、二人揃ったね。じゃあ今日もよろしく頼みますよ!」
 狸部長は話を切り上げてオフィスから去っていった。オフィスには明彦とマルオが残された。
「いやあ。部長は上機嫌でしたねー」
 マルオは緊張を解き、自席に座ってパソコンにログインした。「みんな飲みに行ってるらしいです」
「金曜ですからね。酒飲んで遊んでればいいですよ」
 マルオはメーラーを立ち上げてメールをチェックしている。
「冗談か本気か分からない感じで飲みに行こうぜって言われたんですけど」
「へっ? まあ変な人ですからね! もし飲みに行って何もなければお咎めなしでしょうけど、それでもし障害対応遅れたりしたらブチ切れますよ」
「そうなんですか?」
「気分屋ですからね。気をつけたほうがいいですよ」
 マルオは少しだけ真剣な顔つきでメールを読んでいた。マルオは三連休明けなのでその間の空白を埋めるためにメールを真剣に読んでいるようだ。適当なマルオとはいえ、いきなりニコニコ動画をチェックすることはないのだ。明彦もマルオを見習い、メールチェックを開始した。
十五分ほどするとマルオは大きく伸びをして大きなあくびをした。
「いやあ、平和平和。月曜の障害だけだなー」
「何もなかったですか? まだメール全部読めてないです」
「何にもないっすよ。本当に月曜の障害だけ余計だったなー」
 マルオはニコニコ動画にログインした。いつもの日課が始まったのだ。
「ちょっと聞きたいんですけど、ニコニコ動画で何を見るんですか」
「へっ?」
 マルオは声をかけるといつも「へっ?」と言って、驚いたような反応を見せる。
「ついに興味出ましたか! 前も言いましたけどゲーム実況とか、踊ってみたとか歌ってみたとかですかね」
「なんですかそれ」
「そのままですよ、踊ったり歌ったりするですよ」
「誰が踊るんですか」
「まあ一般人ですかね」
「え、素人が踊ったの見て楽しいですか?」
「分かってないですね! じゃあ教えあげますよ!」
 マルオはにやにやしながら小気味よくタイピングし、とある動画にアクセスした。文化祭のようでエヴァンゲリオンのコスプレをしている男女の姿があった。オープニングテーマ曲に合わせて独特の振り付けで踊っている様子は確かに面白かった。最初は半信半疑で見ていた明彦も途中から声を上げて笑っていた。
「面白いですね。こんなのがたくさんアップされているんですね」
「そうですよ! クリエイターたちの新作をチェックするのが仕事なんですよ!」
「ニコニコ動画で表現活動できるんですね」
「画期的なサイトですよ。あとクソゲー動画とかも面白いですね」
 マルオはその後もニコニコ動画の魅力についていろいろと教えてくれた。気づくと三時間ほど過ぎていた。仕事らしい仕事といえば最初に十五分ほどメールチェックをしただけである。これでいいのだろうかと思ったが、マルオは一向に気にしていなかった。
「これ面白いですから」
 マルオはおすすめのニコニコ動画リストを明彦に教えてくれた。明彦の趣味に合わせて動画を選んでくれたようだ。ゲーム実況動画はゲームをクリアするまで続くので全部で十本近くなる動画もあった。
 マルオはコンビニでコーラやスナックなど嗜好品を購入してきた。そのまま一緒に動画を見て笑いながら過ごした。こんな仕事でいいのだろうかという罪悪感が芽生えていたが、一瞬で夜勤は終わり、土曜の朝がやってきた。
「いやあ、平和で良かったですねー」
「そうですね。もう土曜の朝ですね」
「あー。土曜か、引き継ぎがありますね」
「引き継ぎ?」
「そうそう初めてですよね。土日は夜勤だけじゃなくて日勤の監視の人が来ますから、その人に引き継ぎをするんですよ」
 その話は夜勤に入る前にシャドウから教えてもらったことがある。
「初対面の方が二人きますね。一人は夜勤でも一緒になることがありますから挨拶しておいたほうがいいですね」
 夜勤チームは六人いて、Aチーム三人・Bチーム三人で別れてシフトを組んでいる。マルオと次元はAチームに所属しており、明彦はBチームに所属している。毎回違うチームのメンバとのコンビで夜勤を行っているのだ。
「そうですね。今度夜勤で一緒になるでしょうから」
 しばらくするとドアが開いて明彦と同じような年齢の青年がやってきた。彼はBチームに所属しているようだ。
「Bチームは全員若いんですよ。Aチームはちょっと経験のある三十代が多いですね」
 マルオが補足した。確かに夜勤チームの費用を抑えるのであれば、片方のチームは若い人で構成して一人当たりの単価を抑えることができそうだ。明彦が納得しているともう一人がやってきた。
 年齢は三十代後半、痩せ型、目つきが悪い。髪型は雨上がり決死隊の蛍原トオルのようなマッシュルームカットだった。明彦は蛍原と呼ぶことにした。
「おはようございます」
 明彦は立ち上がって挨拶をした。
「ああ、今週から入った人かあ。で、引き継ぎは?」
 蛍原はぶっきらぼうに言った。少し嫌な感じだなと思った。

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