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秀吉の甥が築城した城とは?

こんにちは♪hm384352です。
今回は前の記事で紹介した秀吉の甥が築城した城郭を紹介します!

秀吉の甥って皆さんご存知ですか?

羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉の後継者と言われ関白とまでなりましたが、秀吉と淀殿との間に次男秀頼が生まれたことで、秀吉との関係も疎遠となります。次第に粗暴が目立つようになり謀反の噂をかけられてしまいます。自身に野心のない旨の誓紙をだしますが、秀吉は世間の噂を利用し、切腹させてしまい、一族も京都三条河原で惨殺してしまいました。

このようなあまりにも悲しい最期を迎えてしまった人物、、そう!それは豊臣秀次です。

そして秀次が秀吉との関係が悪化する前に築城した城郭、、それは現在の滋賀県近江八幡市に存在した八幡山城です。

次の記事でも紹介しますが、八幡山城の城下に秀次は城下町を敷きとても謀反の疑いをかけられる人物とは思えないほど住民に愛され、現在でも在郷町として発展するほどの町を作りました。

それでは城下町の話はまた後日として、、秀次が築城した八幡山城とはどのような城郭だったのでしょう?
是非続きを見て、八幡山城の魅力に触れてみてください!

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