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HLAB Alumni Interview #5-1 織部峻太郎 (HLAB参加時の衝撃)

HLABは2011年以来、高校生、そして大学生の多くの参加者が、各々のフィールドで活躍しています。

今回は、HLAB Alumniにインタビューをしていく企画第5弾として、2012年参加者の織部峻太郎さんのインタビューを掲載します。

インタビューは3回に分けてお送りしてまいります。(第2回/第3回

第1回はHLABに参加されたきっかけと、その時に感じたことをお話しいただきました。HLABでの衝撃と、手ごたえはどんなものだったのでしょうか。

──HLABに参加したきっかけを教えてください。

織部さん:HLABに参加したのは高校2年生の時でした。幼稚園の時からそれまでずっとサッカーをやっていたのですが、怪我をしてしまいました。文字通り、朝から晩までサッカーをやっていた自分としてはショックでしたが、その分できた時間で、高校時代に他の世界も見てみたいなと思って、高校生の交換留学の相談会に行って事情を話したら「留学は大学になっても行けるから」と。留学の斡旋機関に行って留学を薦められないっていうのもどうなのかと思いますけど(笑)

そのような経緯で、自分の中で1年間の留学というところにいまいち踏み切れず、より短期間での国際交流をベースに調べていたら、高校の先生が、小林亮介というハーバードに行った先輩がいて、彼がサマースクールをやっていると話していたことを思い出しました。

確か高1の時にもHLABの人たちが説明会に来てくれたと思うんです。それこそ、当時はスタートしてから間もなかったんで亮介さんとかも直々に来てくれてたと思うんですけど。ただその時は全く興味がなくて、高2で応募するときも、ものすごく参加したいという気持ちよりは、とりあえず高校の友人が応募するから自分も出してみるかといった感じで、締め切り直前に応募した気がします。

2012年、サマースクールのときの写真。
(写真左が織部さん、右がHLAB代表・小林亮介)

──プログラム中はどんな感じでしたか?

織部さん:何せ5年も前で、「こういうことがあった」という個々のエピソードはあまり思い出せませんが、衝撃的な体験だったというのははっきり覚えています。

──やっぱり、衝撃的だったという印象はすごく強いんですか?

織部さん:すごく強いですね。やっぱり海外で長く生活してたりとか、数学オリンピックに出たことがあったりとか、高校生の時点ですでに何らかの成果を挙げている人とは自分は全然違うと感じました。ただの高校生だったので。しかも英語も周りにできる人が山ほどいたので、どうやって自分のプレゼンスを発揮するかにとても苦労して、特に参加して最初の数日とかはやっぱり辛かったですね。

──インパクトが強いということを話していて感じるんですけど、企画について圧倒されたのか、大学生に圧倒されたのか、それこそ最初に言っていた海外大生との交流ですごい圧倒されたのか、どうなんでしょうか。

織部さん:全てにおいて圧倒されたのが正直なところでした。中でも、最初は英語は懸念事項の一つでした。メンバーのリストが事前に送られてきて、プロフィールとかを見たら、半分くらい日本で育った人っぽい感じだったんですよ。だから、半分の人はペラペラだろうけど、残りの日本で育った人は自分よりはできるかもしれないけど、そんなに致命的ショックを受けるほどでもないのかなと思って甘く見ていたら、日本で育ったと書いている人もところどころ海外に行ったとか、インターナショナルスクールに行っていたとか、そういう隠れエピソードがいろいろあって・・・。「違う世界に来たな」というのが一番最初の衝撃です。

もう一つの衝撃は、他の人は自分にしか話せないエピソードを色々と持っていたことです。例えば、沖縄出身のある参加者は米軍の基地の問題がとても身近な問題で自分なりの意見を持っていたり、またある参加者は琴の演奏で日本一をとっていたり・・・。

自分にとって、そういうエピソードが何かないかと考えた時、たまたま取ることになった医療制度のセミナーが契機になったんですね。はっきりと覚えていませんが、日本と米国の薬剤の臨床治験の違いとかだった気がします。

当時は理系の分野に興味がなかったので、4つ参加するセミナーの希望を全て人文学とか社会学で出したにもかかわらず、興味のない分野にも触れるきっかけをとのことで一つだけ割り振られたのがそのセミナーでした。親、親戚に医療者が多かったので、なんとなく医療について考えるきっかけが小さい頃から多く、自分ではあまり意識していませんでしたが、日本の医療のこういう点が良くて、こういう点が問題だという意見は持っていたようです。

しかもそれが、自分よりはるかに優秀だと思っていた高校生に対しても面白くとらえてもらって話題にしてもらえたということが記憶に残っています。それで、自分はもしかするとこういうフィールドで頑張ったらいいんじゃないかなっていう少しの実感とその他大きな挫折感みたいなのが合わさったというのが実際のところですね。

──ちなみに最初に興味を持っていた、人文系とかのセミナーはむしろそんなに影響は受けなかったんですか?

織部さん:進路を決めるにあたって、自分がやりたいと思うことや、受験科目との相性、僕の場合は全くなかったですが、親の希望や意見など色んな制約の中で決まっていくので、何が積極的にやりたいかはっきり分かるわけではないことも多いですし、はっきりしていてもその先どういった風に進めばいいかわからないことも多いじゃないですか。

例えば自分の話をすると、僕の通っていた高校では高1の終わりに、文系・理系でそれぞれコースが分かれるのですが、当時自分の中ではっきりしていたのは医学部には行かないということだけでした。それは、親を見ていてすごく覚悟のいる仕事だなと思っていて、自分が覚悟のないまま医師になっても、どこかで必ず後悔する時が来るのではないかというのを心のどこかで感じていたからでした。

今でこそ建築とかデザインとか面白いと思うことはありますが、工学部、理学部にも当時はあまり興味がなく、どちらかというと法律やビジネスは面白そうだなと思って文系の方に行ったという感じでした。受験科目としてもそちらの方が得意でしたし。

確かに人文系のセミナーでものすごい刺激を受けましたが、僕がやるよりも、他の人がやった方がもっと価値が生まれるんじゃないかなと思ったのが正直なところでした。

僕が価値を発揮できたところは、医療周りの話をちょこちょこっとしたところくらいで。その他の話を僕がしたところで、例えば、「僕はこう思う」とか言っても、「自分が住んでいた海外ではこうなんだよね」みたいな話をされたら、日本の話も大して語れないのに、説得力がないじゃないですか。

──なるほどです。「自分はここから新しい道を頑張ってもコピーにしかならないんだ」みたいな感じですよね・・・。

織部さん:そうです。自分の中では「これがやりたい!」っていうのが強くあれば、多少はそっちの方向に進んだのかもしれないですけど、その時点ではっきりこれを将来やりたいっていうのが無かったんですよね。

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