銃弾の雨、雨宿り、アラーンを待ちながら

外が寒い。外は寒い。髪を切ったから。切ってもらったから。駅に降りたわたしはあなたに借りた本を抱えて銃弾の中、基地までかけていきました(戦場は死のモチーフであり詩のモチーフでもある)かえしたとき、読めればいいと言っていましたが、血で汚すわけにもいかないでしょう。なので私は本のために自分を守らねばなりませんでした。基地への道すがら、近くのカフェに寄り道をしました。コーヒー屋が前線にはたくさんあり、そのうちの一つ、建物のおもて(Fassade)には美しい女性が三人描かれていました。10mの美人を眺めながら私は記憶の銃弾を避けていたのです。中に席はなく、店前の席で野営をするわけにはいかなかったので私は美(しい巨)人たちに別れを告げました。彼女らは私のことを見向きもしませんでした。次のカフェが入り口がとても狭かったのですが、中に入ると広く、そして奥行きもありました(それはうなぎのねどこのようでした。一番奥の部屋のまどからは住宅街の悲鳴が飛び込んできました)そこでわたしは座っています。カフェアメリカーノ、アメリカンカフェ(エスプレッソをお湯で薄めたもの。日本でもよく見うけられます。)を頼みました。一番奥の部屋では男女の組が座っていて、ごく静かな声で話していました。静かすぎて私はその言葉の意味をただの一つとして理解することができませんでした。ドイツ人同士の話すドイツ語が大して理解できるわけでもないわたしが、どうして秘密に満ち満ちたその会話を聞き取ることができたでしょうか。同じ部屋(それはおおよそ10m^2の大きさで、たとえば一般的な書斎の大きさとしては適切なものでした。)にはあと二組分の小さなテーブル。それと同じ大きさの低い書き物机が部屋の隅には置かれていて、ペンと色紙が置かれている(テーブルの上には子供が落書きしたのであろう規則性のないという規則性を持つカラフルな線が描かれていました)。「彼らはその出自により特定の階級属性へと押し込まれている」なんらかの機関紙の表紙(名前は記憶にのこっていない)がそう言っていました。雑誌をめくるとその語り手はHoussam Hamadeということがわかりました。Hamadeの名はMuhammadに準じたバリエーションであり、Mohammed Hamada も同じ出自を持っています、きっと。
道を歩けばハンブルクでは物乞いに遭遇するんです。少しだけ使い古した服を着ている中年の男たちが金を求めて呼びかけてきて。ニーハオ、と呼ばれる私。鬱憤の腹いせのために私はその男に問い返します。「どうしてお前(Du)はそうやって俺のことを呼ぶんだ」「ただ、ハローって言いたかっただけなんだよ、兄弟」貴様と兄弟になった覚えはない。敵でありたいわけでもないのだけど。わたしはひつようのないことをしました。意味のあることなど今までしてきたでしょうか。私はずっと非文で喋って、予測変換で書いてきたのに。「お前たちはコロナを持っているんだ」と呼びかけた子どもたちを私は追いかけていきました。ただ話をしたかったんです。君たちはなぜそう言うのかと。それは間違っていることだと。子どもたちは迫ってくる私をみて店員を呼びました。店員と私、そして子どもたち。三つ巴の四人で私たちは地獄を分け合っていたんです。同行者のベルさんという人は目を訝しく細めて見ていました、私を。そんな話を私は同僚にしていました。「そういうマイルドなものもあるけどさ」とジュピターさんは落ち着いていったあと少しあわてて付け足しました。「もちろんよくはないよ。でも、もっと大変で過激な人たちもいるからさ。東ドイツに行った時、やばかったよ。元彼はスペインの人だったんだけど、肌が少し黒くてさ。ドレスデンあたり、ネオナチの人たちとすれ違ってさ(見た目でわかるほどに彼らは全身真っ黒な服を着ている)『頼むから静かにしてて』とたのんで横をとおりすぎるしかなかったんだよ」わたしは自分が東の田舎で車から中指を突き立てられたことを思い出していました。ベルさんは道すがらベルリンの街でPetit Petit Riceと呼びかけられたことを以前図書館で話していました。私たちは大抵の火曜日、講義の空き時間に図書館にこもっていて、時折カフェテリアで話をしていたのです。いいですか、これがマイルドな差別で、銃でモスクを襲撃しない限りは公然と確固として法廷にひきづり出すことはできません。だれだって通報するわけじゃないんですもの。被差別者の「努力」しだいなんだから、大抵は。ユダヤ人の両親を持つ友達は日本とドイツの「由緒正しい友情」についてブラックジョークをいっていて、「次はイタリアなしでいこいう」という私の言葉に笑っていました。何が正しかったのでしょうか。
階級主義:1.それは所属階級やその出自に基づき人を差別すること。2:または労働する階級の搾取を指す事もあります。bell hookによれば、階級主義は往々にして人種差別と結びついています。過去のフランス人が自民族をアーリア人の一部に位置づけたこと、つまり「青い血」の下、カテゴライズしていたことはその一例で、植民地主義の時代にはさまざまな人種が搾取を正当化する意図のもとで作り出され同時に構造付けされました。近代的(と書こうとしましたが、わたしはその形容詞を付けることが本当にできるのでしょうか)人種主義は搾取をおこなうための不平等を生み出すイデオロギーなのです。今日ドイツにおいて「低収入」とされる人々の40パーセントは移住者で、それはその人の能力ややる気に裏付けされたものではありません。まさしくその人種的所属によって彼らは容易く搾取されてしまう場合があるのです。低収入であることを恥とする人たちも少なくなくHamade自身も自分がHartzVI受給者であることを最近まで隠していたのです。
コーヒーが冷めてしいました。靴はきらきらとしているのでしょうか。私は友人にホテルに誘われています(うまくいけばラウンジでタダ飯をかっくらえるそうです)私、薄給です。私は苦求にあります。


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