いつの時代も、本を求めて人は集う
京都の夏は、本当に暑い。
じめじめ、じわじわ。
何もしていなくても滴る汗。
そんななか、下鴨神社には多くの人が集っていた。
皆が求める先には、いつの時代のものかわからないような、古き良き味のある古本たちが並んでいた。
下鴨納涼古本まつり
たまたまInstagramのフォロワーさんの投稿で知った古本市。
なんだか涼しげな立地と掘り出し物が見つかりそうなワクワク感に駆られ、開催を知った翌日、わたしは足を運んでみることにした。
本を求める理由はなんなのか
行ってみて驚いたのは、その人の多さだった。
並んでいる本の多くは昭和時代に書かれたもので、ジャンルで言うと雑誌、婦人誌、子供の絵本、小説、新聞、教科書などさまざまなものが並んでいた。
中でも興味深かったのは昔の国語の教科書であったが、同じくそういう類の本に興味を持ってみている若者たちがいることにも驚いた。(わたしも数年しか変わらないし、同じく興味を持ってのぞいてみたのだけどそこは割愛)
若い人から子連れの家族、地元に住んでいそうなおじいちゃんおばぁちゃんもおり、皆なかなかマニアックな本が好きなのだと感心した。
古本からわかる、変わらないものと変わりゆくもの
わたしの思う古本の面白さは、2つある。
一つは、時代の流れとともに変わりゆく考え方の変化に気づくことができる点。
国語の教科書では、『どうかこの本を使って勉強し、先生に褒められ父母に喜ばれる読む力をつけてください』と記載があった。
一体誰のための勉強だ、と言いたくなるが、明確な違和感を感じられるくらいには勉強の意味を理解できるようになったのかなとも思う。
そして2つ目は、時代の流れと逆行して今も昔も同じような感性や同じような感じ方をした人間がいたのだということに気づくことができる点である。
今読んでいる古本の、『流域紀行』の中には、昔からある"川と人との関係性"について書かれている。美しいものは美しい、人間と自然との関係性、そんなものに気づかせてくれることにおもしろさを感じる。
そんな楽しみ方を知ってしまった。
ネットでも調べたらすぐに出てくる時代だけれど、書籍から、手に取った本や人から聞いた話から得た情報の方が記憶に残りやすい。
他の人たちの、この場に来る目的はそれぞれだろうけれど、きっとみんな古本という名の新しい気づきやワクワクした気持ちを求めて、この場に集っているのだろうな。
そんなことを考えながら、きっとこれからも絶えないであろう本の需要について思いを馳せていた。
昔は本なんて全然読まなかったのに。
本のある世界って幸せだなぁ🌏
たのしい日々はつ づ く。
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