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いざとなったら失踪しよう

はたちそこそこの頃、失踪したことがある。なにもかもが嫌になってしまい、本気で誰にも会いたくなくなった。夢を持って上京した2年後、未来を絶たれアパートを引き払ったその足で、迎えに来た母をまいて私は逃げた。

しばらくは神奈川のはずれの、恋人の実家にお世話になっていたのだが、付き合っている人がいることを誰にも話してなかったので、居場所は一切ばれなかった。生かしたままの携帯には、実家からの連絡はもとより、友人知人にも想定外に早く伝わってどんどん拡散され、電話帳に登録してあるけど思い出せないレベルの薄い知り合いからも安否確認を問うメールが送られてくるようになった。誰からどういうルートで伝わったんだろうと、まったくの他人事のように思った。ひととのつながりが嬉しくも、切れないことが煩わしいと思った。日が経てば経つほど半狂乱の母のメッセージで留守電はうめつくされていき、未読メールの数は異常なほど増えていった。

恋人とふたりでいるのに悲しいだけで楽しくなく、眠るたびに母の夢を見てはうなされて起きた。一緒にいるあいだ、連絡すれば、のたぐいのことを、恋人は言わなかった。ふたりとも遠距離恋愛になることが不安で仕方なかったのはたしかだ。

私の失踪は1週間で終わった。
耐えられなくなったのだ罪悪感に。

東京駅で、鬼ばばのような風体で立ちつくす母と再会した。その顔で泣かれたのは覚えてるけど、怒られたのか覚えていない。鬼ばばにしてしまったのは私だ。

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電話以外の手段で人とつながることが出来るようになり、見えない世界でも居場所がつくれるようになった。リアルがだめでも、ネットには居場所がある。今はその気持ちがよくわかるし、何が人を生きさせる拠り所になるか、そのひとにしかわからない。選択肢があるってすごくありがたいことだ。

あれ以来、失踪の1件はもはや笑い話だけど、うちの家族にとっては「あいつは思いつめたらなんでもやる」と心底震え上がらせた事件として記憶されている。そうだよ、私はおたくらの血を継いだ子孫だぜ。

たまに考えてみる。
LINEもメールも電話番号も捨てて、仕事も変えて遠くへ引越してしまえば、私はいつでも失踪できる。フルネームを知る人なんて限られている。

いつだっていなくなれるから、もうしばらくがんばってみようか。
もしいなくなるとしても、母だけはもう鬼ばばにしない。





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