『一汁一菜でよいという提案』という本

一汁一菜という生き方

著者の土井善晴は、関西弁でとても気さくな人という印象がある。
印象だけで書くが、土井善晴の父の土井勝は、とてもまじめで固かった。
それはほとんどテレビ番組『おかずのクッキング』の印象なのだが、土井勝から息子の善晴に変わって、なんか「いいかげん」なしゃべり方だなと思った。
それと共に気さくな感じがしたので、「いいかげん」は、本当の意味で「好い加減」だったのかもしれない。

ともかく、この『一汁一菜でよいという提案』は、料理本ではない。
和食を通じてのエッセイ本である。

「一汁一菜」とは、食事はご飯と具だくさんの味噌汁と香の物があればいいということ。
それは、単に食事のことだけでなく、「思想」であり、「美学」であり、「生き方」である。

なんか難しそうであるが、あのやさしい土井善晴のやさしい語り口が文章に出ている。
失礼ながら、テレビで見る印象よりも文章がいい。

一生懸命、生活する

まず最初に、「一生懸命、生活する」とある。
その瞬間を五感で感じて味わうこと。
これはマインドフルネス瞑想ではないか。
こういう丁寧な生活にあこがれがある。
映画『PERFECT DAYS』の役所広司演じる平山さんのような生活。
(これも瞑想映画だった)

感じるということは、「身体」で感じるものと「脳」で感じるものがある。
和食は「脳」でおいしさを感じる。
考え方の背景には、常に「自然」がある。

マザー・テレサの言葉が引用されていたので、ここでもそのまま引用させてもらう。

「世界平和のためになにが必要ですか」という質問に
「家に帰ってあなたの家族を愛しなさい」

これは、ノーベル平和賞の授賞式の言葉である。
何も特別なことをする必要はない。
家族の平和が世界平和につながるのか。

自然を感じる

日常で自然を感じることは少なくなったが、GWに実家に帰って、自然を感じた。
ここがいいとは思っていないし、いまは不便を楽しむことはできない。
しかし、実家から送られているお米を通して、自然を感じることはできる。
送ってもらった筍に旬を感じることはできる。

この本は、兄が薦めてくれた。
「いいこと書いてあんで」と言っていた。
兄は好きで料理をするようだ。
「一生懸命、生活する」ことへのあこがれがあるのだろう。
ぬか床をつくって、漬物を漬けたいと言っていた。
高校を卒業して、早く田舎の実家を離れた兄が、田舎の生活に対してあこがれをもっている。
その兄が病室で私にこの本を薦めてくれた。

2024.05.05-GO1


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