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〝普通〟がわからない母で良かった

今回も、息子さんの〝書字障害疑惑〟の話

疑惑について、詳しくは下の記事で

記事にも書いたのですが
小3の息子さんは
小2の夏休み明けに宿題に躓きました

上記の5つの記事を簡単に要約すると

息子さんの小学校では
9月の始業式の前に〝サマースクール〟という
いわゆる登校日が3日ほどあります

そして、そのサマースクールの初日に
夏休みの宿題を提出する事になっていました

ところが…

息子さんは、溜めに溜め先延ばしにしたので
夏休みの宿題をほぼ出来ずに登校日を迎え

こともあろうか、息子さんは勝手に
残りの宿題の量や自分の能力を鑑みずに
「始業式までに全部提出する」と
担任の先生と約束しちゃったんです

無理だと判断した母は
連絡帳を通して猶予を求めました

案の定、始業式には間に合わずに
夏休みの宿題と普段の宿題が重なり
宿題は雪だるま式に膨れ上がり
にっちもさっちも行かない状況となり
母は、重い腰を上げ学校へ相談に行くことに…

その後の流れは、
下の2つの記事に詳しく書いているのですが

学校に相談に行った結果
漢字の宿題の量を減らしてもらう事を
取り付けたものの…

脅迫的に宿題をやらなきゃという
息子さんの意識が変わらず
やっと意識が変わったかなぁと思ったら
全く宿題を家でやらなくなった
(本当に極端な息子さん)

学校とやり取りしている間にネットで
海外では低学年の児童に宿題を出さない
と言うのを知った母が

「グローバルスタンダード的に
 低学年の児童には宿題を出さない
 方向にあるようなので
 宿題に関しては気にしないことにしました」

と雑に伝えた電話を最後に
息子さんの宿題問題は打ち切りになった

その頃から息子さんは〝ある事〟を
口にするようになったように思う

それは。。。

「〝なかよし〟に行きたい」

〝なかよし〟とは
息子さんの学校の特別支援学級のこと

その当時は、息子さんが支援級に入れるほどの
発達的な障害はないと思っていたので
(今もあるかはわからないのだけど)

「あのね、〝なかよし〟さんは
 息子さんが行きたいからって
 簡単に行けるもんじゃないんだよ?」

「なんで行きたいの?」

「〝なかよし〟さんは、宿題ないんだよ!」

「〝なかよし〟さんは、宿題が嫌だからって
 行けるもんじゃないんだよ」

なんて会話で誤摩化していたのですが
息子さんは諦めてないようで

「どうしたら〝なかよし〟に行けるの?」

と聞いて来たりします

「う〜ん
 ちゃんとテスト受けたり検査受けたりして
 『〝なかよし〟に行ってもいいですよ』
 と言われないと行けないんだよ」

と返事していたのですが

当時、多少ADHDっぽいところはあるものの
一度も学校側から
〝なかよし〟さんへ行く事を打診されてないし
学習の遅れも指摘されていなかったので

検査受けても特別支援級への移籍が妥当との
判断は出ないだろうと思って
それに対するアクションはしないでいました

ときころが、最近になって
支援が必要と判断される可能性がある
〝ある障害〟が浮上してきたのです

それが

冒頭に書いた〝書字障害〟

息子さんの汚い字の特徴・漢字間違いの特徴に
〝書字障害〟の特徴が驚くほど一致する

もし、本当に息子さんが〝書字障害〟ならば
今まで何気なく言って来た

『ちゃんと書きな』『きちんと書きな』
『丁寧に書きな』『汚い』『読めない』
『真面目に書きな』

という言葉達が
なんて残酷なことだったのだろうか
息子さんごめん。。。

唯一、過去の自分グッジョブと思えるとした
理由は違えど、あの宿題問題が浮上して以来
息子さんに漢字の宿題を強要せず
するかしないかも、いつやるかも
進めるペースも全て本人に任せて
一切、漢字の宿題をチェックしなかった事かな
(本人がいないとこでは、見てたけど
 本人には何も言わなかった)

〝書字障害〟疑って先週の金曜に
こども発達支援センターに行って
相談の申し込みをして来た

その時に
支援級に行きたいと言う事も伝えたら
7月の中旬までに就学相談を申し込まないと
4年生から支援級に行けない事がわかった

学校に行って就学相談をしたいと伝えると
〝なかよし〟の先生と話をする事ができた

支援級の先生は慎重で
私が見学する事や息子さんが体験で行く事を
進めて来て、ゆっくり考えたらと言われたけど
ゆっくりなんてしていられない

申し込んでも入れるとは限らないけど
息子さんが望んでいる以上
入れる可能性を少しでも残しておきたいと
考えている事を伝えた

こうやって書いていると
自分から「〝なかよし〟に行きたい」と
言い出す事自体が少し変わっているなぁと思う

もしかしたら
〝普通級〟に通わせたいと思うのが
普通の親の思いなのかも知れない

しかし

私は〝普通〟というのがよくわからない
〝普通である事の価値〟がよくわからないのだ

〝普通〟=他の大多数と同じ
という意味であれば本当に意味がない
だって誰1人として
他の誰かと全く同じなんて事はないのだから

確かにマジョリティーによる
マイノリティーへの偏見や迫害はある

しかし

偏見や迫害を恐れて自分の本心を押し殺し
マジョリティーへ迎合する事の方が
よっぽど心が健全じゃないと私は思うし

自分らしくあるのなら
マジョリティー側に属していても
マイノリティー側に属していても
それが幸せなんじゃないかと思う

もし、私が〝普通である事〟がわかって
それに重きを置いていたら
今のように迅速に動けないどろうと思うと
〝普通〟がわからない事も悪くないなと思う