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日常の違和感をコンビニ感覚の対話の練習会で吐き出す

はじめに

2018年頃からいろんなコミュニティに参加して、「好きなこと」や「社会課題」についての対話の場に参加させていただくうちに、これが日常のすぐとなりに欲しくなっている看護師ひよこです。○○を学ぶとか、オンライン祭りやイベントなどは、準備から開催や集客までかなりの労力を使うのですが、気軽に参加できる場所があるといいなぁと思っています。


安心安全な場所づくり

対話の場に攻撃的な言葉を使う人がやってくることや、場を荒らす(他者や団体を批判する)などを恐れるあまり、対話の場を開くことや参加することに躊躇する人がいるように感じています。主催者と参加者の関係性において、ともに対話を学ぶ仲間であるということを真ん中におくと、それは回避されないのでしょうか?

主催者はあくまでもなにかを教える人でも正しい答えを知ってるわけでもなくて、平和な世界(日常のおだやかさ)を創っていくために「自分のありかた」や「対話の方法」を振り返りながらともにことばを置いてみる。私は、その場にいる方と言葉を交わしているうちに自分自身の内側に新たな発見がうまれて嬉しくなる経験が何度もあるのです。

お互いの大切にしたいことを聴き合う経験って、攻撃的に見える人や場を荒らしているように見える方こそ「聴き合う豊かさ」を感じることができるのではないかと思っています。「対話を学び合う」という非日常だけれど、日常にある職場や家族や社会のエピソードを話してみることで日常に活かせる体験になるようだと思えます。

対話を学び合う体験を得ながら暮らす

私が育った田舎町は、隣近所はもちろん町中の情報が知られているのではないかというくらい、大人達が噂話をしていたように記憶しています。それはいいことからそうでなさそうなことまで。だから家の外ではいい子でした。

父親が何度も家の窓ガラスを割るものだから、母はそれを無言で片づけて私がガラス屋さんに新しいガラスを買いにいく光景ははっきり覚えています。きっと、町の人たちは父が何度もガラスを割ってることを知ってただろうし、そんななか近所の人に明るく挨拶をしながらガラスを買いに行く子どもの姿を目撃していたでしょう。だけど、だれも助けてくれなかったから私の目には全員敵だと映っていました。

結婚して移り住んだところでは数件となりの人達以外はほとんどだれとも挨拶も交わしません。だからとっても楽なようでとっても寂しい感じがいまでも続いています。最近は長崎県警察本部がお知らせしてくれる「キャッチ君」という不審者情報も取得しているので、子どもにさえ声をかけづらい状態です。

50代くらいの女性が小学生に「いま学校の帰り?」と声をかけた事案が発生しています。女の服装は・・・とニュースにされそうです。

いま考えると、田舎町はいいところもいっぱいありました。地区別対抗の催しもあったし、公民館で炊き出しをしたり、だれかのお葬式にはみんなで料理を持ち寄ったり・・・。そんな体験はメンドクサイと思って生きてきましたが、そんなつながりが恋しいこの頃です。

オンライン対話を学ぶ場で、自分自身の大切にしたいものをそれぞれがしっかり握りしめることで、他者にもやさしくなれると思うのです。そうすると、隣近所の方々にも「それぞれに大切にしたいものがあるよね」とわかりあう関係性が再構築されて、もういちどつながり直すことができるのではないかなぁと思ってます。

ごちゃまぜの街

本当はいろんな方が生活しているはずなのに、それが見えない世の中に違和感があります。高齢者はデイサービス、子どもは保育園、障害者は障がい者の訓練所、心の病を抱えている人は精神病院、学校や社会に交わることが難しくなった方は家の中・・・。

勤めていた病院では医療安全の委員をしていました。リスク管理です。

とても大切なことなんだけど、安全にばかり目が行くと行き過ぎた管理になっていたこともあったのではないかと思えます。いろんな人がいて、いろんな「大切にしたいこと」があって、いろんな困っていることがあるはずですよね。病院の中と、地域は違ってくる部分もあるけれど、リスク管理が行き過ぎてしまってないかと時々心配になります。

そんなことも「対話を学ぶ場」で吐き出してみると、聴いてた人からの思わぬ反応があったりして面白そうだなぁ・・・。正しい答えなんかありませんよね。だってそれぞれに「大切にしたいこと」が違うでしょうから。だからこそ丁寧に言葉を交わし合っていきたいなぁと願っています。

ボランティアではなく会社として・・・

私はイライラすることがあると、ものを何かに投げつけたい衝動(妄想)がまず脳裏に浮かびます。そして、心の中でむかつく~って叫びます。(誰もいなかったらほんとに叫びます)それから誰かに話したくってたまらなくなります。娘たちの顔が真っ先に浮かぶのですが、孫を寝かしつけているタイミングかもしれないしと、LINEで「くっそ~」と書いてお知らせして解消するのですが、さらにお菓子やアイスを食べたりふて寝したりして忘れることが多いです。

だけど本当はこんなことがしたいのではなくて、その都度自分自身の「大切にされなかったこと」をゆっくり振り返りたいのです。現実世界では反応的に動いてしまいます。だけど「話す場」があれば、話すだけではなくて対話を学ぶ場があればいいなぁと思います。きっとおだやかに過ごせるし、体重増加も回避できる(はず・・)。

筋トレジムに通うように、コーヒー飲みにカフェに行くように、映画館や美術館に行くように・・日常の隣にあるオンライン対話の場を必要としている私がいます。

私はこれまでいろんなコミュニティの中で主催の場づくりをしてきました。いろんな方が開く場にも参加させていただきました。それは有料もあれば無料もあります。持続可能な場を求めている私には、有料の継続した場が必要です。コミュニティカンパニーとして立ち上げられないかなぁ。挑戦したいです!!

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