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山雅熱を取り戻す。


※はじめに

この文章は、2021年4月末、ホーム群馬戦の後、2週間ほどかけて書いたものです。

公開するかどうか、とても迷いました。

内容もですし、タイミングも、いつが良いのかなぁと。

結果、16節を終えた、今を選びました。

みなさんが、山雅を心配している。

いや、心配する気もなく、冷めたり、諦めたりしている人もいるかもしれない。

そんな時、公開するのは今だ、と思いました。


みなさんの思いを救いあげたいのです。

色々あるけど、「今こそ応援したい」

という気持ちを、全力で前に出したいです。


今まで、口にしてこなかったこと、

私が「山雅のことを書いてみたい」

と思ってから、1番最初に書いた文章がこれです。

勢いのまま、つらつらと書きました。なので荒削りです。

内容も内容です。今でも不安で、、でも決めたことなので、、

突然始まりますが、ついてきてください。笑



以下、原文です。



     〜 〜 〜 🌱〜 🍃〜 🌿 〜☘️〜 🍀〜 〜 〜 



今はもう山雅から離れてしまっている人、

 山雅に関心はあるけど、昔の方が楽しかったと思う人、

 そんな人達に読んでほしい。 




 ゴール裏で応援していたあの頃、

私の周りにはたくさんの人がいた。 

 ゴール裏の応援とはこういうものだという背中を見せてくれた人達。

 学生ということで繋がったグリスペの人達。先輩、友達。 

 抽選番号で困った時、助け合っていた、あの人達。

たくさんの仲間がいたはずなのに、
みんな、ゴール裏からいなくなった。 

 (当時の、私の、話です。もちろん新しく知り合った方もいらっしゃいます) 

 いろんな事情があると思う。

 理由は人それぞれだと思う。 

 でも、私にはわかる。 

 「変わってしまった」。

 あえて公に言葉にする人は少ないと思う。 

みんな黙って、知らないうちに出て行く。


そんな背中をたくさん見てきた。

 尊敬するみなさんが、いなくなった。

 追いかける背中がいない。。。

  (正確には、いないことはない、私の近くからはいなくなったという意味です) 


 それでも私はゴール裏でアツく応援したくて、がむしゃらに、、

 嫌な思いもしながら、

それでも、離れたくなかった。あの時は。 




 山雅サポはすごい、と言われるようになってから、

 リアルな今、

 今と言ってもここ数年声を出しての応援は出来ていないが 


 2度目のJ1を経験した2018年。

 1度目のJ1と比べたら、集客は減っていたと思う。 

 一番感じたのは、アウェイ豊スタ。 



 あのJ1開幕戦。

 3-3、2階席までびっしり埋まったアウェイのゴール裏。2階席も立って応援していた。

 忘れられない試合の一つ。 


 それがどうよ、


2018年の豊スタ、

 1階席の端も空いているではないか。



 私はといえば、


2014年にサポーターを始め、

 初のJ1を経験した2015年、

 J2へ降格した1年目、2016年、

そして2017年。

 その頃が私の全盛期。

 仲間ができて、ところ構わず試合に足を運んだ。

 私は大学生だった。


 2018年、私は社会人になったのだが、 その辺から記憶があいまいだ。

悲しいほど、ないのだ。

 仕事でいっぱいいっぱいだったのか、覚えている試合は数試合。

 それでも推しの選手はいたし、

ファン感にも行っていたし、

アウェイにも数試合だが行った。 

  楽しんでいたとは思う。 

 でも、「なんか違う」という感覚は、現れていた。



 だんだん、


ゴール裏が楽しくなくなった。  

正直すぎる言葉で、口に出すのもはばかられる。


 2014年〜2017年は、自分の声が掻き消されるほどの声援の中、ゴール裏が一つになり、歌い飛び跳ね、その熱気がたまらなく心地よくて、心の底から楽しかった。 

 でも、2015年、早くも私の周りには変化が現れた。

 客層が変わるから嫌だと、今までの和気藹々と盛り上がるゴール裏ではなくなることを悟った人が、ゴール裏から離れた。1人目。 


 家族全員でシーパスを買い通い続けるのが難しくなったとのことで、ご家族まるごといなくなられた。2〜3人目。 


 正確にはわからない、この年なのか分からないが、 

最近見かけないなぁと思ったら、いなくなっていたなんて。本当に悲しかった。

大好きな、女性のサブコールリーダーさん。

勝手に尊敬していた。

男性社会のゴール裏の中、私も男性に負けたくなくて、 

声を大きく低く、たくさん跳ねて、目立って、、

そんな頑張る気持ちをくれた人かもしれない。


 2016年。

 私の推しはパウリーニョ選手。

 この年は数え切れないほどアウェイに通った。 

さっき調べたら、開幕から3連戦アウェイに行っていた。懐かしい。

  


2017年も、鹿児島キャンプから始まり、この年もたくさんアウェイに行った。 


 そして、私にとって大きかったのは、

2016シーズン終わり、喜山選手の突然の解約。

山雅という会社が信じられなくなった。

かなり、冷めた。結構苦しかった。 


 2018年。J2優勝。 

水曜日のアウェイ大宮戦に日帰りで行った。 


 2019年。

 この頃のゴール裏は、、

主観ですよ、私の思い出は、、


 野次。野次。野次。 


 これでもかとブーイングする人が1人近くにいた。


 席取りは平等なはずなのに、明け渡せという人達。


 昔からあったのかもしれないが、あまりにも嫌な思いをする日が多すぎた。 


 そして、あの頃のように、爆音で歌う人がいなくなった。

あくまで、私の周りには。


 だから、1人だけ声出しててもつまらないし、

 どんなに自分が声を出そうが、跳ねようが、それを見て感化してくれる人がいない。 

 私が応援し始めた頃は、

サブコールリーダーさんを始め、励ましのゲキを飛ばす人達を見て、

私もサボってないでもっと声出さなきゃって、思ったものだ。 


 なのに。

 その頃から心が折れそうになった。

 周りが、熱を失っている。あの頃より、と。

 完全に比べてしまっていた。 

 それに、私のように、

そしていなくなった敬愛する先輩達のように、 

 楽しく、熱く応援しようと思う人達を失うような、

いられなくなるような環境はおかしいと思った。


 そして、ゴール裏から離れた。


 本当に、悲しい事。


 だけど当時は、 

自分が持っていた応援スタイル、こだわりが、 

 同じように大事にしている人が周りにあまりにもいなくて、

 ゴール裏にいたいというこだわりすら    

失われた。 



 今は、ピッチシートにいる。

 いろいろ考えて、ピッチシートを選んだ。



 かなり端折ったが、

私の遍歴はこんな感じだ。 


 私が文章に出来るのは、

2014〜2017年くらいまでのこと、

そして今。 

 サポーターになろうと頑張っていた2014年当時の気持ち、そして言葉にしていたことは、かなり覚えているので、 今後はそれを書いてみてもいいかなぁと思ってみたり。 


 それと、

 2021シーズン、 

 最下位から17位まで順位を上げた勝ち試合、ホーム群馬戦。

 あの試合から、私の気持ちや状況が変わり出した。 

 今シーズンは、心に残したくて、。

 その理由や思いも、


書いて行けたら嬉しい。

 書けるか分かりませんが。。🙄



 私の応援の価値観を押し付けたり、昨今の応援を批判したいなんてとんでもない。

 むしろ、情熱を取り戻したい。

 
最近、自分も、取り戻してきている気がするから。


 希望を言葉にしたい。

 勝ちたい。

 楽しみたい。

 ゴール裏が好き。 

 山雅が好きだから。

 そんな、前向きな気持ちを、 

 少し俯瞰から見てしまっている人たちにも、

シェアしたい。

 もう一度、夢中になろう。

 これは私の願い。


 あの時、あの瞬間、

私に応援する背中を見せてくれた人達、

本当にありがとうございます。

感謝永遠に❤︎


 


おこづかいなんて貰えたら、おいしい飲み物やお菓子なんかに変えちゃったりして、ありがたみを噛みしめながら食べさせていただきます…🍴🙏🫧体力補助への貢献お待ちしております()