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ゼレンスキー大統領は、ウクライナの高杉晋作になるのか!

1 「高杉晋作だって?まさかでしょ」

 確かに。
 まったく状況も、キャラクターも、異なる二人です。
 同じ土俵で比較するのは無理だ。
 でも、私の頭の中では困ったことに、高杉晋作とゼレンスキー大統領が、繋がってしまいました。
 以下は、新聞やテレビ程度の限られた情報から得た直感です。

2 『プーチン大統領の最大の誤算』

 今、マスコミは「プーチン大統領の誤算」を盛んに取り上げています。
 曰く、短期制圧に失敗したロシア軍、ウクライナ軍の意外な強さ、各国のウクライナ支援とロシアへの制裁の規模の拡大、東欧のNATO側への傾斜、その他、様々です。
 各要因の中で、プーチン大統領の特に唯一最大の誤算は何か。
 絞って考えてみましょう。

3 孤独なリーダーの胸の内

 独裁者は孤独です。
 プーチン大統領も、同じです。
 権力を自分一人に集中して国内に対等な人間が一人もいないのですから。
 組織の頂点に立つリーダーは、強弱の差はあれ孤独な一面があります。リーダーの地位が長期化すれば、本人が自覚的にコミュニケーションに勤めない限り、側近に自分の胸の内を語らなくなり、また語れなくなっていきます。
 側近は、上に立つものには恐れ多くて、つい距離を取るようになってしまいます。距離を取れば、リーダー特有の見方が理解できなくなっていきます。
 こうして、リーダーは理解できない部下に本音を語らなくなり寡黙になり、側近はリーダーの意向に沿ったことしか言わなくなります。
 独裁者政権の長期化は、独裁者と身近な者とのコミュニケーションの亀裂を深め、悪循環が発生して、溝は深まるばかりとなるでしょう。

4 独裁者に対等に話せる者は誰か?

 それは、対決する相手です。
 交渉する相手です。
 独裁者が、相手の国や組織との戦いを考える時、対決する相手のリーダーについて独自の見方をしているものと思います。
 プーチン大統領は、ゼレンスキー大統領に対し、自身の過去の経験や信念や政策に照らし合わせて、自分独自の判断を下していたことでしょう。
(そんな立場になったこともない、私の勝手な推測ですが)
 もし、プーチン大統領がゼレンスキー大統領観を側近に漏らせば、側近に異を唱える者はいなかっでしょう。 

5 プーチン大統領に独占インタビュー(創作です)

「俺はKGBで鍛えられた男だ。大統領として、20年間も世界を相手にしてきたのだ。俺こそ軍人の中の軍人、政治家の中の政治家だ。ゼレンスキー大統領なんて、所詮タレントだ。政治のド素人だ。当選時に支持率が70%を超えたとしても、それは俳優とコメディアンの人気でしかない。話題性ということで、その人気でブームになったにすぎない。政治家の実績としては何もない。したがって実力もない。その証拠に、大統領になってからは、評価を落とす一方だ。支持率は一挙に落っこちて、30%を割るくらいだ。仮に軍事侵攻をしたとしても、どうせあの大統領の対応能力は恐れるに足らず。慌てて周りの芸能出身の側近に相談して、『どうしよう、どうしょう』と混乱するばかりだろうさ」
 すみません、これはまったくの創作です。
 荒っぽすぎるかもしれません。
 とはいえ、プーチン大統領が、ゼレンスキー大統領のいざという時の危機対応能力や戦時下のリーダーシップを、かなり甘く考えたのはないでしょうか。

6 危機的状況下でのゼレンスキー大統領

 ところが、開戦後、ゼレンスキー大統領は、活躍し始めます。反対にプーチン大統領の西側の評価は急落下していきます。
 ゼレンスキー大統領は首都を動かず、全世界に映像と情報とメッセージを発信し、支援と指示を取りつけます。ウクライナ軍は果敢に抵抗してロシア軍に対抗し、短期決戦のロシア軍の当初の目論見は大きく外れていきます。ゼレンスキー大統領は国連や各国議会に対して印象的な演説を行いました。
かなりはアドリブではないでしょうか。
 情報戦争ではプーチン大統領の上をいっているように見えます。
 首都で、ゼレンスキー大統領は、なんと各国の首脳と対等に交渉しているではありませんか。ウクライナ国内のゼレンスキー大統領への支持は一転し、国民は大統領のもとに結束していきます。
 ゼレンスキー大統領は、戦時下で、かえって本来の隠れているリーダーシップが花開いたようです。
 プーチン大統領の予想は大きく外れてしまいました。
 プーチン大統領にしたら、二十歳以上も年下の素人大統領に、今のところ一本取られたような気持ちでしょう。
「俺も年を取ったもんだ」なんて、考えていたりして・・・・・。

7 高杉晋作とゼレンスキー大統領

 高杉晋作は、政治家というより、どちらかというと軍司令官タイプだと思います。己の分を守り、トップリーダーで自分に権力を集中して、仕切ろうとはしていなかったですね。
 とはいえ、上海を視察した国際感覚と独特な状況判断の鋭さから、80人での騎兵隊功山寺挙兵、四か国連合艦隊(米英仏蘭)と戦後の外交交渉で、したたかにも賠償金を幕府に押し付けたり、幕府軍との戦いでも維新回天の転機になる活躍をしました。
 もし、高杉晋作並みの危機対応能力のある人材が、ウクライナにいるとしたら、どのような活躍をするでしょうか。ロシアの大軍勢を相手に、どんな戦い方をするのでしょうか。
 間違いなく情報戦略をフル活用して国際社会を味方に付けて、大軍を相手に予想外な戦いを展開するように思えるのです。ここにゼレンスキー大統領と高杉晋作を重ねた発想のきっかけがあったようです。
 とはいえ、年齢がだいぶ違いますが。このことは、次に触れます。 
(歴史小説・時代小説の読みすぎかも)

8 ゼレンスキー大統領は英雄ではない


 ゼレンスキー大統領がいくら活躍しても、今のマスコミのゼレンスキー大統領の印象だけでは評価はできません。このような悲惨な戦争を避けることができなかったのかは、問われ続けることでしょう。
 戦前、ゼレンスキー大統領のプーチン大統領に対する外交政策はどうだったでしょうか。はたして政治家らしい手練手管や、ずるさで、情勢を丸め込む駆け引きはできたでしょうか。
 今日の事態を思うと、疑問があるように思えます。
 本来政治家は、戦争にならないように交渉していくのが役目です。
 もし、高杉晋作が29歳で亡くならず、ゼレンスキー大統領と同じ年齢になっていたら、軍のリーダーを脱皮して、スケールの大きな政治家になっていたように思えてなりません。
 したたかに、最悪の事態を避ける工夫をし続けたのではないでしょうか。
 きっとこんなことを言うかもしれません。
「平和のためなら、英雄はいらない」と。

追記

ー今回の記事は苦労しました。冷や汗ものですね。

 



 
 
 

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