Tokyo

夕暮れ時だろうか、高速バスに乗って私は東京にやってきた

いつもは新幹線の利用だが、なぜこの時はバスだったのだろうか?覚えていない。

たまたま、小学校の同級生Uも同じバスに乗っていた。

私は目当ての美術館に行くのが目的であった。Uは、どうやら仕事のようだ。何十年も月日が経っての偶然の再会だ。

小学生の頃のUの面影はあるもののすっかり大人になっている。

小学生のUは、少し色が黒くて物知り博士、走りも早かったように覚えている。ガリ勉という感じではなく、自分の知りたいことを、とことん調べるタイプだった。

その日はバスを下車して少し会話をして別れを告げ、それぞれの宿に向かった。もうすっかり夜になっていて、東京のネオンが眩しかった。


数ヶ月後、再びUと東京で会った。今回も、偶然同じ日に東京で用事があったからだ。

前回と同様に、高速バスに乗ってやってきた。席は別々である。

バスから下車後、「U、今回も仕事?忙しんだね」と言うと

Uの表情が少し曇った、そして虚な目をした。

「Uどうした?仕事じゃないの?」

Uはオフィスカジュアルの装いであったが、シャツは少しくたびれている。噂では、Uは持ち前の探究心を生かして研究職をしていると聞いていた。

「あ〜、今回は相方のダンススクールの関係で来たんだ」と言う。Uは家庭を持っていて、そのパートナーが幼児対象のダンススクールを2つ運営していると言う。1つは、「楽しくダンスや歌、演劇をやりましょう」という方針。もう1つは、「芸能界、プロを目指します」という方針であった。

時間があったので、そのスクールの様子を見についてった。

発表のリハーサルをやっていたのだが、その練習稽古場が格差があり驚いた。

Uは「どう思う?」と私に問うてきた。そして、また虚な目をした。

「子どもたちは、生き生き歌ったりしているね。でも、この練習場所は、ちょっとひどいかもね」

そう、芸能界を目指すスクールは完備された環境だった。まるでもう一方は、クズのような扱いだったからだ。

錆びたパイプ椅子に隙間だらけの壁、照明は暗くてスポットライトもない。古い使われていない公民館の一角、という雰囲気であった。子どもたちを追いやっているようにも感じた。

Uの思いは、「どっちのスクールに通う子も、楽しみしてやってくる。だから、必要な環境を提供してほしい」あと、家庭の経済的な面でも苦労しているようであった。

私はそこでつながった。Uはおそらく、一定の安定した収入がある。だけれでも、新幹線でなく高速バスを利用し東京までやってくる。身なりもそうだ。家庭を持ち、子どももいる。かなり、切迫した状況なんだと。

Uは、相方の運営には口を出せないが、スクールに通う子どもたちが不憫だったのだろう。

このダンススクールの運営について心を痛めていたようで、何度もパートナーと話をしているようである。しかし、それも折衷点が見出せず、別れを告げにきたようである。

Uが子どもたちが歌ったり踊ったりする眼は、嬉しそうでもありながら色々な思いが混在した色になっていた。

そして、ふと私の方を見て笑った。

私はかける声がなかった。


そこで記憶は途絶えた。


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