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自分のことをどれだけ書けるかやってみたーその2

羊です。
自分のことを書くためにいろいろ過去を探す毎日です。

ふと思い出したのは
わたしって、正義感がやたらと強い時期があった。
確かな記憶はないですがおそらく小学4年生ぐらいから中3、否、大学卒業までぐらいかしら。
程度で言うとおそらく
最近、話題になった環境問題を訴える少女ぐらい熱いものをもって世間と闘っていた。
もっとも彼女ほどの行動力はなかったけれど、
彼女が訴える30年程前に
「地球が怒ってる!」なんて詩を書いていた。
そしてリンカーンの伝記を読んで本気でアメリカの大統領になって世界を平和に導いてやると意気込んでいたわけです。

年齢的には丁度、思春期。
今思えば、対親を通り越して対世界といった
スケールの大きい反抗期。

とにかく世界平和。
地球を守らなければいけないと
限りある知識だけで世間に悪態をついておりました。

若いって素晴らしい(笑)

9.11の際には
アフガニスタン難民への募金を呼び掛けたこともあります。
この時、なぜ、アメリカへではないのか?
こんなときにアフガニスタンなんて
と言うお声をたくさんいただきました。
闘うわたしは立派に相手を論破したかというと、
何も言えませんでした。
ただ、ごもっともです。
でも、ここにも苦しんでる人はいるんです。
彼らがどうなってもいいとはわたしには言えないんです。
そんな感じのことしか言えなかったです。
募金活動は学校祭の期間の2日だったかな。
集まったのは3万少々。
自分の小ささを知りました。
協力してくれた友人達の懐の大きさをしりました。
参加したこともない、
手伝ったこともない学祭で
急に募金箱を置かせてとやって来たわたしに
場所を提供してくれて手伝ってくれた人たち。
人って温かい。
自分の小ささを知った瞬間だった気がします。
ここで、いや、もっと出来たはず。
こんなんじゃない。と意気込んでいたら
わたしはきっと今頃、世界を変える人になっていたのでしょうか?
世界のどこかで
正義を振りかざしていたでしょうか?

闘う理由があるから闘う。
今でもそうは思います。でもその理由って正義ではない。
自分にとっては嘘偽りのない、まっすぐな正義だろうけれど
きっとこの世界のどこかの誰かには正義ではない。
正義っていったい何だ???
未だに答えがない自分です。
日本ではなく紛争の絶えない地域で生まれ生き残り生きていたら
おそらくテロリストという道を選んでいたかもしれません。
その国を抜け出して、難民として苦しんでいるのかもしれません。
でも、わたしは日本で生まれて日本で育った。
そう、頑張ってもアメリカの大統領にはなれません。
これは諦めなのか、それとも成長なのか。
わたしの正義感。いったい何に対しての正義だったんだろう。

頑固だとか、強情だとか、柔軟性がないとか、我が強いとか
言われます。
偉そうに正義感ぶってとか、自分が一番正しいと思ってるとかも。
人を馬鹿にしてるとか、なめてんのかとかいい言われよう。
涙をぐっとこらえて、静かに耐えます。
時には自分を守るために吠えます。
けれどそれは正義感からではない。
良いも悪いも自分の基準で考えたい。ただ、そう思っているだけ。
それはそれで生きづらい。
けれど自分の技量で今、生きていくためにはしょうがない。

あっ!正義感と自分っていうのがいつの間にか、愚痴になっている。

自己研鑽とか自己肯定とか
やったらいいこと沢山あるだろうね。
何から始めればいいんだろうね。
もう40歳。
実はわたしはどうゆうわけか25歳で死ぬと思っていました。
きっかけも理由もわかりません。
気が付いたら25歳で死ぬと思っていたので
25歳の誕生日の翌日に生きていた自分はどこか別の自分のような
なんとも言えない気分。
そこからまた生まれた気分で生きてみてるからまだ15歳(笑)
そうは都合はよくいかない。
生まれ変わっても、人生キラキラしているかって、そうじゃない。

生きている意味とか、自分の役割とか考えて深みにはまって
苦しんで…でもそこから何か見つけられてからというとそうじゃない。
そこに居たのも、ここに居るのも自分だけ。

こうやって自分のことを書いて
ストレス発散。
そこに間違いなく正義なんてない。
自分のことを大事にしたいんだろう。
自分のことを残したいんだろう。
生きていた証。
不幸な人なのか、幸せな人なのか。
それは誰かが決めること。

このどうでもよい話を読んでくださった方に感謝をこめて。

あなたにHAPPYを…


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