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高校生が進化について真剣に考えてみたあの日。

あれは高校二年生の頃だったろうか?
記憶を辿るのが難しいわたし。
おそらく高校三年生になる年の春休みだったのか…
その辺がものすごくぼんやりとしているのだけれど
わたしは初めてアメリカ、U.S.A. に行ったのだ。
そんな記念的出来事をどうして鮮明に覚えていないのか。
それはわからない。

確か2週間、場所はカリフォルニアのどこかの田舎。ハリウッドとかに数時間で行ける距離だったはずだ。
その当時通っていた英会話学校のホームステイプログラムで行ったのだった。

生まれて初めての海外。
ホームステイ。
お泊まりなんて祖父母とか親戚の家ぐらいしか経験がない。
映画で見るようなアメリカの生活でワクワクな毎日。
そんな現実はなく、わたしは用意された部屋の天井を一人眺めて物思いにふけるある一日を過ごしたのだ。
端的に言えば暇だったのだ。初めての海外でできることがなかったのだ。
わたしがお世話になった家庭はとても熱心に彼らの神を信じ、
その教えの通り過ごす家庭だったので週末は静かに過ごすスタイルだった。
今のわたしならちょっと調べて計画を立てて、アメリカの生活を謳歌したはず。
ごやっかいになっている家庭についてとやかく言う筋合いはない。
でもそこは初めてのアメリカ。
両親はわたしが撃たれはしないかと心配しながら送り出したわけで、
しかもまだネットなどの情報収集ツールすら気軽に使えない時代。
ホームステイ先から電話を借りてコレクトコールで無事を伝えたものだった。
ホームステイ先でもお預かりした以上、責任があるので一人で外出なんてさせられないと言われる始末で、散歩も行けなかった。
そんなわけでとにかく暇。暇潰しのものもない。
だから、考えた。
なぜ生まれたのか。
人とは…。

その当時のわたしは『リング』シリーズにはまり、興味のあることは
DNAやら人工受精とかクローン…人体に関する不思議な話。
学術的なことではなくこれらを扱っている小説を読んでワサワサ独り興奮している感じだった。
だから、思考的にそんなことを考えたんだろうと思う。

そう、ここからはなんの根拠もないただの思い付きの話。

どうして人は攻撃的な人と争いを避ける人とがいるんだろう?
みんなが平和的だったら戦争なんてなくなるんじゃないかな。
でも、人には戦わなければいけないときがある。
う~ん、難しい。
生きるためにプログラムされてることって昔々の人が試行錯誤して身につけたことなら人の性格や気質は実は、人が人になる前から根強くインプットされている何かではないのか?
何かって?そう、それは本能。
本能ということは前頭葉だ!
さもしい感じでわたしの空想、いや、妄想は続く。
確かな知識がなくても人は考えられるものなんだと思う。
さらにわたしを思考の海へと誘ったのは恵まれた環境にいたからだろう。
実に静かな部屋なのだ。
ベッドとクローゼットがあって、
緩やかに日差しが差し込んでくる3畳ぐらいの部屋だったのかしら?
白い天井だった。外の景色…覚えていない。
そんな環境なので意識は研ぎ澄まされていたのだろう。
突然、天井に吸い込まれるような感じになり、イメージでいうと走馬灯のような凄い速さで流れる時間の中にわたしは放り込まれてタイムトリップしたかのごとく遥か昔、恐竜がいた時代へと連れていかれた。
そしてひらめいた。

猿だけじゃない。
きっと、乱暴だったり攻撃的な人は肉食系の生き物から人へ
穏やかだったり小心者の人は草食系の生き物から人へとなったのでは?
その元々の生き物がなんなのかは知らないけれど
きっと恐竜の仲間で生き残ってきたのがやがて哺乳類になり、そして人へ。
だから肉食、草食の遺伝子が残っていて性格に影響しているんだろう。

このめちゃくちゃな話、
文字にしてしまえばたいしたことのない字数になる。
いったいどのくらいの時間、わたしは考えていたんだろう。
ものすごく考えて、最終的には鼻血を出した。頭が沸騰していた。
この時はこの考えがものすごい大発見かのように思え、非常に興奮していた。
異国の地でわたしはいったい…
何か宇宙の秘密を知ったような気分だった。
いつか論文を書いて発表してみようという野望さえ生まれた。

今思えば、もう少し視点を変えて考えていたら草食系男子と肉食系女子なんて言葉はわたしが流行らせることができたかもしれない。
なんとなく悔しい。
わたしはこの閃きを本当の進化論だと内心、ずっと思っている。
いや、思っていた。
しかし、最近、たまたま見たテレビで見てしまった。
アウストラロピテクス属には攻撃的な種類とそうではない種類がいて、攻撃的な種類は絶滅してしまった。とかなんとか…途中でチャンネルを替えなければいけなくなったのでうるおぼえだけれど…
あれ?あのときのわたしの発想って少しはあってた?
でも、絶滅してるならわたしの説じゃ人は説明できない…
あんなにまで真剣に考えて、その後、この人はきっと肉食、この人は草食なんて独自に人を観察してきた日々はいったいなんの意味があったのだろうか。
わたしのあの日の閃きは世界を変えなかった。
自分の中の常識はわずか数分だけ見たテレビによって崩されてしまった。
そして、遥か彼方に潜り込んでいたわたしのホームステイの記憶を少しだけ呼び起こした。
着陸間際の飛行機内で腹痛になり我慢していたら吐きそうになり、必死の形相で片言の英語を駆使してCAさんに説明しトイレに駆け込んだ。
入国審査を終え、荷物の受け取りを待っていたら強面の警備員さんに近寄られ、どこかに連れていかれると思ったら「ようこそ自由の国アメリカへ!」とまさに映画さながらに声をかけられた。
日本文化を紹介するというイベントに来ていた現地男子が当時流行っていた『ビバリーヒルズ青春白書』のブランドンに似ていて仲よくなろうと頑張って話しかけちゃっかり写真をとってもらった。
ホストファミリーとグラウンドゴルフなるものをしたり、タップダンスのクラスを見学したりした。
初めてのディズニーランド、初めてのミッキーが本場だった。なかなか楽しかったんじゃないか。わたし。
風邪気味だし、娘が手話の勉強中だからだと言ってわたしに話しかける以外の会話はすべて手話な一家にホームステイしたんです。
とても静かな家庭でした。そんなことまで思い出した。

今、わたしは古い映像を見ている感じでぼんやりとした記憶をたどって書いている。不思議なのがやり取りはすべて英語なはずなのだけれど記憶はすべて日本語で残っている。
いつもそうだ、ほかの人に英語を使用していた時の記憶や見た夢なんかを説明するときは英語ではなく日本語になっている。
そんなとき、自分の母語が日本語なんだと実感する。
自分の両親、祖父母…とたどってみたことはないけれど自分のルーツの中にまぎれもなく日本というものがあるのを実感する。
ずっとずっと辿れば、アフリカ大陸にいきつき、ミトコンドリア・イブと出会うのだろうけれど、わたしはあの日、そこを越えてもう少し昔に意識が飛んで行ったのだろう。

ただ、天井を見つめて、つらつらと考えた。
タイムマシーンに乗って、歴史を感じて、無事に現代に戻ってきた。
あの日に戻れたらわたしはまた、同じことを考えるのだろうか?
あの日だからこそ、考えたのではないだろうか?
今となれば遠い昔のお話。
あんな風に1つのことをずっと考えることを今はしていない。
できないから止めたのか、それともやらないと決めたから止めたのか。
どちらにしても鼻血を出すほど考えるのは辛い。
考え事の中身が悩みだったり、悲しいことだったりしたらきっと鼻血どころではなく心を擦りきらしていたに違いない。
考えることは楽しい。けれど考え続けることは苦しいのかもしれない。

あの日、わたしはほんの少しだけ進化したのだろう。今は進化について考えるより、ホルモンバランスについてよく考える。
自分のイライラのもとをホルモンのせいにしてやり過ごす。それはそれで面白い。
わたしってなかなか変わっているのだろうか。
ぼんやりとゆっくりと考えてみよう。

遠い未来でわたしの閃きを拾ってくれる誰かのために。

ロマンチックに締め括れそうだ。

時々は猛烈になにか1つのことを考えてみるのも悪くないかもしれない。

あなたにHAPPYを
羊でした。



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