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悔しさが力になる時

息子さんを見ていると
ただ単に辛い、嫌だと言う時と悔しい、頑張ると言う時があって
やみくもに頑張らせてはいけないというのがよく分かる。

この、頑張る感覚は1年生の時に縄跳びを通じて感じた諸々をうまく自分の中で消化して、まさに今、格闘しているって感じでいい感じなのではと思ったりしている。

2年生の時も当然、縄跳び大会はあったのだけれど、息子さんは1年間諦めずに縄跳びを飛び続け、かなり上達していた。
そしてとうとう、縄跳びが切れてしまうまで飛んでいた。
今はできなくても、コツコツ続ければできるようになる見通しというのか
このやればできるようになる感じが息子さんにとっては大切な気がする。
あれやこれやと不安を並べてやめてしまう。
想像力がいいわけではなく、経験がないゆえの不安が勝ってしまう。
うまく縄を回せなかった。タイミングよく飛べず足に絡まり痛い。連続してできない。
などなど数々の困難に対して、彼は自分で考えて、時にはアドバイスをもらい、飛び続けた。そして、飛べるようになった。
たかが縄跳び、されど縄跳び。
余談だけれど、随分と体幹が鍛えられ、字が格段にうまくなった。本人曰く、力を入れてゆっくり書くとキレイに書けるらしい。
筆圧も弱くヨロヨロしたクセ強めの字だったのが、定規をあてて書いたの?というぐらい変わった。
あくまでもこれは息子さんの例だけれど、縄跳びの効果というか、息子さん、頑張ったのだと思う。

この頑張り、今はテニス向いている。
週に1度だけなのだけど、うまくいかなくても諦めないで頑張っている。
レッスン後に悔しくて泣きながら帰ることもあるのだけれど辞めるとは言わない。
親心としては
体を使う、動かすことが苦手なのようだけれど、何かスポーツをして体の動かし方を知ってもらいなんていうのがあり、体験会など色々と誘ってみては撃沈だったのだけれどテニスは的あてみたいな体験会をやっていて興味津々、体験してみたらやってみたいと言い出し、今に至る。

やる気の違いというのか、自分でやりたいと思ったこととやらされていることでは明らかに意識が違ってくる。

息子さんは敏感、繊細なところがあり、怒られたくないからと周りのことを気にしてしまう。だからやりたくないこともいやいややってしまう。少々、サービス精神が強め。
頑張り過ぎて時々パンクしてしまう。癇癪を起こすことはないけれどキャパオーバーで泣いてしまう。
思うようにできない悔しさがあるのだろう。
悔しさを感じるのは一緒なのだけれど、テニスは辞めるとは言わない。
密かに空振りしないで全球、打ち返すという目標に向けて頑張っている。
体力もなく、レッスン後半はヘロヘロになることもあるし、特性がゆえにうまく体を動かせないなんてときもある。集中力もいま一歩な時もしばしばで目標達成とはいかない。
帰り道に悔しくて泣いている時もある。帰ってからもムスッとしているのだけれど、学校の時のように足が向かなくなることも、行きたくないと言うこともない。
レッスンの日が来ると素直にコートに向かってくれる。近所なのでわたしなしでも行けるようになるといいのだけれど、それは今は望まない。

今より一つ上のクラスに行きたい気持ちが強いのだろうけど、それが叶うことはおそらく長い時間がかかるのだろう。と客観的に見ればそう思う。
きっと、いつかはうまくいかないと諦めてしまうのかもしれない。
悔しい想いが残ってしまうのかもしれない。

息子さんの特性だけを考えるとそうゆう想いをしない方がいいのかもしれない。理解ある環境でのびのびテニスを楽しむ方がいいのかもしれない。
でも、これから社会に出ていくことを考えると、これは自分で越えていく壁なのではないかと思っている。
悔しさ、諦め、きっとたくさんの感情を感じていくのだろうけれど、息子さんならきっと乗り越えられる。
わたしも一緒に感じて、悩んで一歩を踏み出せばいい。

きっとその先に何か残るから。
生きていく為に必要な強さが残っていくから。
やっぱりわたしは信じて見守るくらいしかできないんだとぼんやり思いながら息子さんのテニスを見つめる。

「お母さん、今日ね、初めてコーチに褒められたよ」
と嬉しそうに話してくれる息子さん。
そうだね。今日は、大活躍だったね。

テニスコートのある庭が欲しい母なのでした。

あなたにHAPPYを!





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