普通ってなに??規格外人間がおもう生きやすさ



生きやすい、生きにくい、という表現をよく目にするようになった。

価値観が多様化したり、新しい概念が発表されたり、数年前数十年前と比べるとよりよくなってきているように思う。
また、そのような個々の表現が発信できる世になってきたのも大きい。


◆欠陥規格外人間

なにかにつけて少数派は肩身が狭い。
「えー これが普通でしょ。」「こうなのが当たり前だよ」的な言葉をもらうと何だか自分が欠陥規格外人間のように思えてくる。もがき苦しむ最中は藁にも縋る思いで多分野の書籍、占い、スピリチュアル、さまざまな方面に答えを求め救いの光を見ようとするが生温い感覚しか得られず、自分は変わり者世の中の規格や概念には当てはまらないのだと愕然とする。

なんてことだ。
研究の歴史が何千年あっても誰も解決してくれない。


◆感情の流れと筆圧

『この生きにくさ』を抱えてどうすればいいのだろう。そもそも何で生きにくいんだ!とノートを取り出し憂さやら憤りやら屈辱やら、はたまた未来の展望やら希望やらを殴り書く。

誰が悪い、誰のせい彼のせい、と書き殴った文字の筆圧の強さと乱筆加減。
こうしたい、こうなりたい、こうなったら嬉しい、と書いた文字のやさしさ。実に不思議だ。


◆千差万別、十人十色

千差万別、十人十色
パズルのピースのようにぴったりと当てはまる答えなどないのだ。

なんとなく温もりを感じる価値観概念と、わずかにでも響いた言葉たちを繋ぎ合わせて自分だけのオリジナルを作る。既存の概念や価値観に合わないと、戸惑い嘆くより余程ラクで余程楽しい。


◆風潮と流行りに惑わされない

どんなものごとも多数派が基準。そこに流行りと風潮がある。
SNSやテレビ、雑誌をなにも考えず鵜呑みにしていると、多数派が正しくて流行りこそ最も意味のあるの考え方だという勘違いが起こる。

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規格外の野菜でも味は変わらないし、特徴あるその姿は味があってなんとも愛らしい。そのうえ財布にもやさしい。

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わたしが何十年ももがき苦しむのは自身を認めていないからだった。
わたしが生きにくさを感じるのは個性と真逆の多数派に合わせようとしているからだった。

原点は自分。
答えも解決策も明るい未来も自分の中にあった。




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