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弟と初めて腹を割って話した話

※弟にはnoteで晒すと言ってある

先日弟から連絡が入った。​

姉弟で親の愚痴大会でもしない?

わたしは今離婚前提の別居中。約3ヶ月前に家を出たが色々と事情があって元いた家(夫と子らが暮らす家)から徒歩2分のところに引っ越したばかりだ。夫がわたしの親を頼って生活していたこともあり、元から過干渉な母親からのLINEや電話攻撃などでわたしが疲弊していたことも弟は知っている。引越しから2週間足らず、心身ともに参っていてまともに固形物を口にすることもできない状態だったが、何よりも「人に飢えていること」が問題だということには気付いていたので、よろよろしながらも弟と会って話してみることにした。

弟に会って、まずわたしは詫びた。弟は結婚を前提に付き合っている彼女とこれから一緒に住み始めるところだったからだ。元々の計画では弟が結婚するまでは別居・離婚を踏みとどまるつもりだったが、そう人生上手くはいかない。想定外の出来事の連続で(そもそも未来を「想定する」こと自体が烏滸がましいのではあるが……)、自分が思っている以上に早く限界が来て家を飛び出すことになったのだった。

弟は全くもって気にしている様子を見せず、「いや、無理でしょ。あれは逃げるしかないよ」と言ってくれた。もちろんわたしへの気遣いは含まれているだろうが、わたしはとてもほっとした。今、夫も、母も、父も、わたしの味方とは言えない。わたしに説教を垂れたり何かを強制したりしない「味方」の存在をありがたく感じた。

そこから弟が話してくれたのは、わたしが思っていたよりも、度し難く、その反面妙に心が和らぐ現実だった。

自分に自信がなくて、どうしてこんなに自信がないんだろうと思ったら、俺、親に褒められた記憶がないんだよ。褒められたとしても上げて落とされる。常に姉ちゃんと比較されて。多分俺も姉ちゃんもお互いにコンプレックスを持ってる。「同じように育てたのにどうしてあんたはそんな風に育っちゃったのかしら」とか言われてたし。

弟にはとても申し訳ないけれど、わたしにとってそれはとても意外なことだった。わたしには、弟はもっと飄々と自由に生きているイメージがあったから。でも、そうではなかった。

お互いに色々なエピソードを話していくと、どうやら弟は「姉(わたし)と比較されけなされる」、わたしは「(弟と比較されけなされることもあるが主に)母にマウントを取られる」というやり方をとられていたことがわかった。たしかに、親が「褒めて育てた」という割には、わたしにも具体的に褒められた記憶はない。どちらかといえば、「私(母)はこういう時には○○できてたのに」だとか「(教えてもいないくせに)何でちゃんとできないんだろうねぇ」だとか、文句を言われたことが思い出される。こうして自己肯定感が地にめり込むような姉弟ができ上がったというわけだ。

弟は数回転職を重ねている(今のところに就職するまでは運も悪くブラックを渡り歩いていた)。その最中、シャワーを浴びながらつらいしんどいと考え続けていたらいつの間にか2時間経っていたことがあったのだという。その後、何故ここまで苦しいのか考えに考え抜いて褒められなかったこと、けなされ続けたことが原因なのではということに辿り着いた。そして、そこからが弟のすごいところだった。

親に「あんたは暗い」とか「ぜんぜん話もしてくれない」とかさんざん言われたけど、実際に友達がいないわけじゃない。今も遊べる友達がいるし、会社でだって普通に話せる。仕事もできる。そうして自分が悪いわけじゃないと思えることを必死に掻き集めた。でも、“普通の”精神状態になるまで4年くらいはかかったんじゃないかと思う。

「心療内科とかにはかからなかったの?」と聞くと、「しなかった」と。時間をかけて自力で回復させていったのだという。

弟がこんな状態にまで落ちていたことがあったとは知らなかったし、弟もわたしが飛び出すまでここまで「ヤバい」状態だとは思っていなかった。ここが親の巧妙なところで、弟にはわたしの、わたしには弟の愚痴を聞かせていて、弟もわたしもお互いがもっと図太い人間だと誤解しやすい状態になっていたのは間違いない。「こんな状態だったのに、わたしらよくお互い敵対しなかったね」と笑い合った。

(なお、ここまで母の話ばかりだが、父は昔ながらのモラハラ親父というのは既に語り合い尽くした共通認識なので最早話題にも上がらない)

弟は「でも、父も母もあんな感じなのに仕事とか大丈夫なのかな?」と不思議がっていたが、「あのさ、多分、あんたもわたしも仕事はできる方だと思うのよ。あの人たちもそうでしょ、仕事はできるタイプの人間。母なんかめちゃくちゃ効率重視でしょ? だから自分の思い通りにコントロールできるようにあんな育て方になったんだろうし。おかげで自分が今そこそこ仕事できる人間になれてるんだけど。そこはある意味で感謝してる」と言ったらものすごく納得していたのが面白かった。

弟も言っていたことだが、自分の親を「毒親」だと断言してしまうのはやはり憚られる。(手を上げられなかったわけではないが)身体的に虐待されていわけではないし、食事は与えられていたし、充分にお金もかけてもらっていた。だからこそ、「こんな程度」で「毒親」と称してしまってもよいのだろうかと考えてしまうのだ。時代・世代的なものもあり、「子どもはけなすもの」「子どもは支配するもの」という感覚が悪気なく自然に身に着いてしまっているのは、彼らだけでの責任ではないとも思っている。それゆえ、完全に親を悪者にすることもできない。

ただ、弟も生きづらさを感じていて、その原因の一旦は親にあると感じている。わたしも今現在まで親の支配と過干渉に苦しめられている。それは事実だ。自分が今苦しんでいること自体が「間違っている」わけでも「おかしい」わけでもなく、苦しさは苦しさとして認めてもよいものなのだと、わたしは弟のおかげで少し受け入れることができた。今までは、いくら周りの人が「十分頑張ってるよ」とか「あなたはおかしくないよ」とか言ってくれていも、さらに内側を固める夫・両親という思考のシールドが強いために、「自分が苦しむ権利はない」と感じていたのだと思う。しかし、弟という同じ立場の人間も自分と同じような生きづらさを感じていた。それを免罪符にしてよいものかという考えはさておき、自分の「苦しさ」という感覚が決しておかしいものではないと少し自信を持てた気がする。同じ感覚を持った弟の存在が「救い」にもなった。もちろん、これで今の問題が解決したわけではないが、少しだけ、ドアが開いた気がしたのだ。


弟は「酒が飲めなくなったって言ってたから、本当にもうまともに食べられてないんでしょ」と、地産のレトルト食品をたんまり渡して帰っていった。本当に、これではどちらが年上なのかわからない。

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