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ショートショート#13『水瓶』1/2


 時間が止まったように静かな夜。1本の着信音が鳴り響いた。

 最初は、夢の中で鳴っているのか、それとも現実なのか判然とせず、ぼんやりその音を聞いていた。

しばらく鳴り続き、次第に「ああ、この音は夢じゃない。」と判断が付いた。瞼を擦りながら、ベッドフレームに置いてあったはずの携帯を手だけで探る。その冷たい矩形を指先に感じ、引き寄せるとボウと明るい液晶にその着信者の名前が浮かんでいた。

「雑崎正(さいざき ただし)」

 私は、液晶の右上に表示されていた時刻を確認する。

「2時……。」

 呟いた。通話のボタンをクリックして、耳にかざした。久しぶりに聞く遠慮がちに伺うような正の声。

「本当に久しぶり。どうしたの。」

「ごめん、こんな時間に。」

 付き合っていた頃も、こんな夜更けに電話をかけることなんてなかったし、そもそも別れてからは一度として連絡を取っていなかっただけに、

彼に何かあったのではないかと私は気が気でなかった。

「何かあったの。」

「…………。」

「正?」

 正は、言い淀みながら口を開いた。そして、私の声が聞きたかったのだとそう言った。


 正とは別れて1年が経つ。別れを切り出したのは、正のほうだった。最後のデートのとき、待ち合わせ場所に現れた正は、開口一番こう言った。

「家の電球が切れちゃったんだよね。」

 だから、私たちは都内に買い物に行くはずだったところを、地元のホームセンターに変更した。私たちが向かったホームセンターはかなり広い敷地面積があり、ホームセンター以外にもペットショップ、ペットサロン、それから薬局に、フードコートまで完備されていた。

「ここ、一日いても飽きないよね。」

 ホームセンターに向かう車内で、予定を変更したことに謝る正の気休めになればと思ってそう言った。彼は、私の意図を上手に汲み取り、小さな声で「ありがとう。」と言っていた。けれど実際、1日いても飽きないのは本当のことだった。

 電球を無事購入したあと、ペットショップや熱帯魚コーナーを眺めたり、面白い雑貨を物色したり、コンセプトインテリアのディスプレイをままごとをするように二人で空想に耽るだけで十分楽しかった。

 フードコートで少し遅めの昼食を取っていたとき、急に箸を起き、居住まいを正した彼に、私は今夜のように「どうしたの?」と尋ねた。

「別れてほしい。」

 ただその一言だけを彼は言った。私は、心のどこかで予想していたのかもしれない、晴天の霹靂といった衝撃は全くなく、正の言葉を受け取った。

「何かあったの?」

「いや、好きなんだけど。ちょっともう別れたいかな、なんて。」

 ぼんやりとした理由。お互い好きあっている恋人の片割れが急にそんなことを言い出したら、言われた側からしたらたまったものではないだろう。理由にすらなっていない理由。納得がいく以前にその自分勝手な言い方に怒りすら覚えるかもしれない。

 でも、私たちの場合は違った。

「分かった。別れよう。」

 お互い、まだ半分しか食べ進めていなかった定食を返却ワゴンに乗せて、駐車場に向かった。帰りの車内で私たちは一言も会話をしなかった。冬の海をひとり眺めているようなもの悲しい空気だけが車内に漂っていた。ハンドルを握る彼は、まっすぐ前を見ている。前を見ているようで、何か違うものを見ているようにも思えた。「別れよう。」言わせてしまった。私が彼に言わせてしまったのだ。言うべきは私であったのに。その悪役を彼は買って出てくれたのだ。

 そして、私はそうしてくれるように、仕向けたのだ。

                続く


 最後まで読んでくださってありがとうございます!明日、続きをアップさせていただきます!🙇


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