小説「遊のガサガサ冒険記」その10
その10、
遊は河原の石を3個拾い上げ、左手に持った。中州手前に三角錐の形をした大きな石がある。その石にめがけて、彼は拾った石を順に一つずつ右手に持ち替えては投げた。3個とも大石に当たって跳ね、流れに吸い込まれた。
「それが、呼び出す合図なの?」
「そうなんだ。迎えに来るはずなんだ」
「迎えにって、誰が」
「来てのお楽しみだよ。でも、決して驚かないで、これから起きること」
遊は右目で華にウインクした。
翌週の日曜日午後、2人はまた渡良瀬川の鹿島橋上流にやって来た。遊は60年前の世界にタイムスリップし、重要な任務を果たす決心を固めた。母の映見が心配しないよう、華に頼んで、今後、毎週日曜日は2人でガサガサに出かけることにしている。
「あれ以来、華ちゃんに迷惑かけちゃって謝らなきゃ、ごめん。僕を助けたおかげで、華ちゃんまでクラスのみんなから無視されるようになって」
「いいよ、気にしないで。直也みたいのをのさばらせると、後でこっちにも絶対、とばっちりがあるから。クラスのみんなは、直也の矛先が自分に向くのを怖がっているだけで、そんなに悪気はないのよ。私は直也ら3人ちっとも怖くないし、それに遊君と共闘しているから大丈夫」
直也らの遊に対するいじめで、華は遊に加勢し、2人は4年3組のクラスメートに挨拶もしてもらえず、仲間外れにされている。
「でもね、私、知ってるんだ。直也も大変なんだって、父親に殴られているらしいよ。それに上級生の悪にこき使われているみたいだし」
「お父さんって何やっているの、そんなに悪い人なの」
「佐野市内の食品関係の工場勤務だって聞いてるけど。お酒が大好きで、酔っぱらうと機嫌が悪くなって手が付けられないらしいの。お皿や飲んでるビール瓶まで放り投げて、止めようとするお母さんを殴ったり蹴ったりするみたい。直也や弟も巻き添え食ってるって聞いたけど。それにこの間、コンビニ前で、中学生の男子生徒数人に囲まれて、直也の奴が小突き回されていたの見ちゃったの」
暴力を振るわれている子供は他人に攻撃的になる、と聞いたことがある。父親や上級生に締め付けられ、その不満の捌け口でいじめに走っているのか。遊はいじめっ子の心理に触れた気がした。
「他人がやっているからって、仕返しでいじめをしてはいけないぞ」
この抑揚のない舌足らずな声は亀吉だ。遊は辺りを見回した。
「ここじゃよ。ここ。遊、ここにおるのが分からんか」
亀吉は岸辺近くの水の中から首だけ出している。
「水に漬かってちゃ、分からないよ。それで、亀吉。いつ、着いたの」
「石が3個放り込まれて、直ぐに来ていたんだがな。だけど、2人で楽しそうに話し込んでおるから、邪魔しちゃいかんし。水の中で休んでおったのじゃ」
「ごめんなさい、折角、迎えに来てもらって」
「全くじゃ。ところで、その可愛い娘は遊の友達か」
「そう、華ちゃんって言うんです。僕の親友。そうだ、華ちゃん、紹介するね。このカメは亀吉って名前なんだ」
華は口を半開きにして、両手を胸の前で組んで固まっている。
「華ちゃん、華ちゃん」
遊と亀吉が呼びかけて、ようやく華は大きな息を吐いて、夢から目覚めたように両目を瞬いた。
「本当、驚いたなあ。カメがしゃべるんだもの。でも、そうか、信じられないような世界に遊は行くんだものね。カメぐらいしゃべったって不思議はないか。私は華。亀吉さんよろしくね」
華は機転の速さで事態を悟り、笑みを浮かべた。
「こちらこそよろしく、華ちゃん。華ちゃんも一緒に来るのか」
「いや違う、もちろん僕だけさ」
遊が口を挟み、
「僕の身に起こっていることを知ってもらって、応戦してもらいたいから、わざわざ来てもらったんだ」
と、事情を説明した。
「遊の良き理解者、サポーターってことだな。それは頼もしい、結構なことじゃ。華ちゃん、これからも遊を応援してやってくれんか。遊は人間にとっても、わしら生き物にとっても救世主になるんだから」
「分かった。こっちの世界にいる時は、私が遊を守るから、安心して。亀吉さんこそ、遊をきちんと60年前の世界に連れて行って頂戴ね」
「う、うん……」
亀吉は反り上げた首を上げ下げして、岸辺の葦原に注意を向けている。
「どうしたの亀吉、聞こえてる?」
川面を渡る風は普段通り爽やかで、青空に雲一つない。ただ静かすぎる。いつもは葦のあちこちから聞こえるやかましいほどのオオヨシキリの鳴き声が何故か、途絶えている。野性の本能で危険を感じているのだろうか。
「確かにいたんだが」
亀吉は舌打ちするように、口を素早く開け閉めした。
「何か、いたの」
「偵察らしいな。確かに、あれはカミツキガメだった。葦の茂みの中に隠れよった」
「それって、どういうこと」
「どうも遊が自制の神の大神使様に接触したことが知られたようじゃな、欲望の悪魔の奴らに。悪魔の手下がカミツキガメに化けて、こっちの様子をうかがっていたようじゃ。うかうかしていられんのう。遊、用意はいいか。一刻も早く、大神使様の元に行ったほうが賢明のようじゃ」
「分かった。華ちゃん、じゃあ、行くから」
「自信を持って、遊君ならできるから。私、祈っている。亀吉さんも遊のことお願いします」
「遊のことは任せてくれ」
「ありがとう。華ちゃんに言われたように、決して逃げないで頑張ってみるから」
ついに未知の世界への旅立つ。遊は内心、不安で押しつぶれそうだった。
「遊、それに華ちゃん、2人とも両目をつぶってくれんか。遊はわしの甲羅の上に両手を重ねて、華ちゃんは五つ数えたら両目を開けていい。その間に遊を連れて行くから」
亀吉は川に頭を向けた。指図されたように遊は両手を重ね、亀吉の背中に載せた。左手にひんやりした感触が伝わる。その瞬間、両手が磁石のように甲羅に吸い付けられ、体が腹ばいになり、大きな石のようなものに飛び乗っていた。
「決して、目を開けてはならんぞ。じゃあ、出発じゃ」
水音が近づく。巨大化した亀吉はゆっくりと流れに入って行くようだ。遊は思わず、息を止め、甲羅に体を押し付ける。足先に水がひたひたと押し寄せたかと思うと、一気に水の中に引き込まれ、意識が遠のいた。
ーー忌々しい奴め。こっちも早く、欲望の悪魔様に連絡しないと
生い茂る葦の中で、1匹のカミツキガメがその様子を睨みつけていた。
撫でる風に湿り気が混じるのを遊は感じ、意識を戻した。ウオータースライダーのように空洞の中を滑り落ちるような感覚だ。長く急な滑り台は果てしなく続くようで、どんどんスピードは増し、風圧に息苦しくなり、水飛沫も降りかかる。また気を失いかけた時、水中から浮上するようにふわりと体が軽くなり、亀吉はゆっくりと止まった。甲羅が体から離れ、遊の両足は地面を感じた。
「着いたぞ。もう目を開けていいぞ」
眼前に茅葺屋根の拝殿がある。自制神社内の神池の畔に辿り着いたようだ。亀吉はいつの間にか元の姿に戻り、足元の池の石の上で休んでいる。
「初めてタイムスリップした時は、60年前の渡良瀬川に着いたけど」
「事態は急を要するから、直行したんじゃ。欲望の悪魔が動き始めてしまったからな。さあ、早く、社務所の中に入らんか」
亀吉はのそのそと石から降り、池の中に体を入れた。長旅の疲れを癒すようにのんびりと水に浮いている。
「遊様、よくお出で下さりました。亀吉の乗り心地はいかがでしたか。お疲れでしょうが、阿玖羅命様がお待ちかねです。どうぞこちらへ」
亀吉と入れ替わりに、門番の神使が迎えに来た。
(もう引き返せない。やり遂げるんだ、僕ら人間と生き物の共存のために)
遊は自分に言い聞かせ、社務所に足を踏み入れた。神使は玄関右手奥の階段を上り始める。階段はヒノキの板で、塵一つ見当たらない。1段、1段、緊張を解きほぐすため呼吸を整えながら神使の後をついて行った。
大神使、阿玖羅命は2階の執務室で待っていた。南面に面した窓は開け放たれ、深い緑の山々が折り重なる。「ヒンカラカラカラ」。コマドリの高らかな乾いた囀りがこだましている。深山幽谷の地に違いない。
「ついにやって来ましたか。今か今かと待っていました」
阿玖羅命が右手を差し出し、握手を求めた。
「光栄です。与えられた使命を必ず、やり遂げて見せます」
泰然自若とした阿玖羅命の立ち居振る舞いに魅了されるように、遊の決意が滑らかに口をついて出た。
「報告を耳にしました。欲望の悪魔が早くもこちらの動きを察知して、遊の周辺を嗅ぎ回っているようです。こちらも早急に対応しなければなりません」
「亀吉も気にしておりました。カミツキガメが偵察に来ていると。それでは直ぐにでも自制の神の元に行き、禁断のワクチンを授かれと」
「まあ、待ちなさい。まず話を整理した方がよいでしょう。現状は前回、既に伝えてある通りです。人間の欲望と自制のバランスが崩れ、欲望を抑えきれず、暴走し始めています。人間の知能は無限であり、より便利で快適な生活を求めたい気持ちは分からないわけでもありません。ですが、節度を忘れ、限度を超えているようです。人間は万物の霊長、生態系の頂点を極める知も力もあるからこそ、上に立つ者に相応の寛容が求められのです。実った稲穂ほど頭を垂れるものです。ここで自制しなければ、地球上から他の生き物を追いやったように、いずれ人間もまた破滅の道を歩むことになるでしょう」
乾いた砂が水を吸い込むように、遊は理解できた。乱獲、地球温暖化、森林破壊に歯止めはかからず、種の絶滅スピードは加速し、全世界で1日に100種以上が姿を消しているともいう。60年前の渡良瀬川と比べても、その深刻さは実感できる。
「大神使様の仰せの通りです。私も渡良瀬川の現状に危機感を抱いております。それでは直ぐにでも自制の神にお会いしなければ」
「遊の気持ちは有難い。しかし、自制の神にお会いするためには難しい仕事を片付けなければなりません。自制する気持ちが本気であることを神に知って頂くために。困難な仕事で、遊には心苦しいのですが」
阿玖羅命は書架から一冊の赤い和綴じ本を取り出し、遊の前に差し出した。
「遊、まずそれに目を通しなさい」
表紙に山吹色の題簽が貼られ、「絶滅した動物」と墨書きされている。独自のレッドデータ資料らしい。暗澹たる気持ちで、遊はページをめくった。
国別に綴じられ、それぞれ哺乳類、鳥類、淡水魚類、両生爬虫類、昆虫類別に絶滅した動物が50音順に記載され、備考として絶滅年、最終確認地などがメモ書きされている。
日本を見る。哺乳類でエゾオオカミ、オガサワラアブラコウモリ、ニホンオオカミ、鳥類でオガサワラガビチョウ、オガサワラカラスバト、オガサワラマシコと並び、いずれも小笠原諸島の日本固有種と添え書きされ、キタタキ、ミヤコショウビンなど聞き覚えのある名前も含まれていた。
魚類はクニマス、スワモロコ、ミナミトミヨとあり、クニマスの備考に田沢湖(秋田)の固有種。昭和15(1940)年、酸性の川水が原因、と添えられている。
(その後、山梨県の西湖で生き延びているのが確認されたはずだけど。そうか、60年前のリストか)
絶滅種が年々、増加する中で、クニマスのようなケースもある。事態を憂慮し手を拱くばかりでなく、まず正確な調査が求められる。
「見た通り、人の手によって絶滅した動物の一覧です。生息環境を奪われ、害獣として駆除され、獲物として狩猟で撃たれた。歯止めの利かない人の欲望の果ての犠牲です。哀れで気の毒で、胸が締め付けられて仕方ありません」
「私も胸が痛みます。人間のちょっとした思いやり、配慮があれば救われた命もあったはずなんです。まだ生存の可能性のある生き物もいるかもしれません。それで、このリストで何をすればよいのですか」
阿玖羅命は腰を浮かせ、背筋を伸ばした。
「自制の神は、人が真に心を入れ替え、欲に惑わされず自制できるかを見極めたいのです。それを裏付けるものは何か。熟慮の末、絶滅した動物の詳しい調査報告をご覧いただくのがよかろうと考えました」
「その調査を私に担えと」
「その通りです。さらに時空を超え、過去の世界に飛び立ち、最後の1羽、1頭、1匹を見つけ出し、悲痛な訴えを記録に残してもらいます」
絶滅種の生前の声を集めるとは。いつ、どこにいた生き物を、どのように見つけ出し、どう話を聞き、まとめるのか。しかも独りで調べろと。不安が夏の入道雲のように急激に巻き起こる。ただ頭の片隅で、死に絶えた動物接触したい衝動も遊の胸中に芽生え始めている。
「報告書をまとめたら、その書類を自制の神、恵夢俱良命様にお届けし、禁断のワクチンを授かる手順となります。自制の神にお目通りを願うには富士山頂まで登り、神のおられる天空まで行かねばなりません。既に欲望の悪魔につけ狙われている以上、途中、妨害工作を覚悟しなければならないでしょう。長く険しい道のりになるはずです」
遊は欲望の悪魔の正体さえ知らない。富士山に上るのさえ初めてだ。どんな悪魔がどのような悪巧みを仕掛けて来るのか皆目、見当もつかない。敵が神に歯向かうのなら、死の危険に直面するかもしれない。
(でも、引き下がれない。今、やらなければ、いずれ自分、人類にふりかかる。憂慮せず、一歩一歩前進するだけだ)
遊は萎えそうになる気持ちを奮い起こす。
「使命の手順は了解しました。まず調査報告の作成が急務となります。哀れにも絶滅した動物は世界中で、数え切れません。どの動物を探し、その叫びを聞き出し、まとめたらよろしいのでしょうか」
「遊よ、使命の重さを自覚しなさい。天空の自制の神にお願い申し上げるのです。人類の運命を背負って」
阿玖羅命の瞳に炎が燃え盛っている。
「手引書はなく、模範解答もありません。どうするか、自分で考えるのです。いかにしたら、自制の神が納得して下さるかを」
その11、に続く。
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