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ミュージアムと知的好奇心

長年いろんな館(ミュージアムやシアター)に通っているが、きょう行ったミュージアムでもまたよい体験ができて、幸せで胸いっぱいで眠りにつく。

ああ、幸せ。

人生で追いかけているテーマは星の数ほどあるが、きょうはそのうちの1つについて、わたしの脳に点在していた知識や体験が一気につながった。
人間を長年やっていると、こういうことが頻繁に起きるので、生きていてよかったと思う。ありがたい。

じわじわと学びの喜びに浸る。

やはり物の放つ存在感と波動はすごい。
それもただ置かれているだけではなく、展示した"人"のストーリーテリング、それを生み出すパッションが伝えてくる。

入り口はほんとうに断片的なもの。

本で読んで、教科書に書いてあって、
誰かの話を聞いて(有名無名問わず)、
テレビで観て、
ラジオで聞いて、
映画に出てきて、
漫画で読んで、
観光で訪れて、
チラシやポスターで観て、
タイムラインに流れてきて、
自分のルーツで、
自分が関係者・当事者で、
勧められて、
友だちの趣味で……。

何かしら引っかかりが残っていて、「好きだなー」「何でなんだろ?」「あれと関係ありそうかも」と記憶に残る。考える前に勝手に収集している。

断片的に積み重なっていく。
書いたり話したりして、少しずつ形を伴っていく。

なにかのきっかけがあって、タイミングが合うと、ちょっとだけ踏み込んでいく。
思い出してみる、考えてみる、調べてみる。

そんなことを繰り返しているうちに、ある日、ドミノ倒しのように一気につながる。

そういうことだったのかーー!となる。
自分だけの経緯で、自分だけの動機で、知と体験、学びと学びがつながる瞬間。
これがやっぱり最高。

そのためには量と質。

ミュージアムとアミューズメントの違いは、体系化された知に裏打ちされているかどうか。
キュレーションの専門性があるか。
展示とは、見世物で観客に気分を高揚させて楽しませるのではなく、学びの喜びを促すもの。一冊の本を作るように、たくさんの人の手が入り、たくさんの工程がある、いわばひとつの作品。

万人にひらかれた知的創造物。



わたしにとってアミューズメントはそれほど楽しくない。楽しめない。小さい頃からずっとそう。
なぜかはわからない。
親しい人との思い出にはなるかもしれないけど、やはり知的好奇心が満たされないと、つまらないのだ。

だから気晴らしのために観る、ということがほとんどない。
わたしにとって鑑賞とは、その対象がこの世界の時間と地理の中で、どのような位置づけにあるかを知ることだし、対象と自分とが何によって関連づけられているのか知ることだ。
対象を知るときには、できるだけ分野を横断して、多分野にまたがってとらえたい。

学ぶことで、自分を理解する。
自分を理解すると、生きるのがますます面白くなる。

そういうことを日々こつこつとやっている。