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【私もオタクなんだけど】

 フェミニストなどの表現規制派がしばしば自称して言う言葉。
 その者がオタクの端くれであろうとなかろうと、オタクとしての知見をふんだんに用い、論理的・実証的な規制論が展開される……ことは決して無く、「同じオタクから見ても悪いのだから叩きは正論!規制すべき!」等と言い張るだけに終始する。
 結局のところ、単なる立場の僭称。要するに自分の立場を中立的で穏当なものに見せかけたいだけである。
 そして続く発言では「100%オタク側のみに」規制への譲歩を要求してくる習性がある。オタクと規制派(フェミニストなど)を兼ねていると主張するにもかかわらず、規制派側としての譲歩や反省を行うことはないようである。

 これは不思議でもなんでもなく、単に自分の意見が「両方の立場を知った上での中立的意見」であると偽装するためだけに規制派が悪用している言葉に過ぎないからである。

 中村香住という人物が『現代ビジネス』に書いた下記記事は、「『フェミニストとオタクを兼ねている』と自称する人物が、オタク側だけに譲歩を要求している」完全な実例である。 

 黒人差別問題においても類似の現象が見られ、I have black friends.(私には黒人の友達がいる)と呼ばれている。これは差別主義者の典型的な仕草であるとされている。

 また、本人が実際にオタクである場合でさえ少年漫画文化やゲーム文化、萌え絵表現などに幅広い造詣があるとかそういうわけでもなく、偏った趣味から自覚なくバイアスのかかった立場にいるだけのことも少なくない。有体にいえば腐女子に過ぎないケースが多いのである。
 【千田有紀】などはその典型である。彼女はBLファンなのだが、萌え絵表現については驚いたことに【乳袋】という言葉が存在することさえ知らなかった。

 そのほか畑違いのクリエイターや挫折した元クリエイター志望などが、競合分野の脚を引っ張ったり、同業者に対する嫉妬やマウント願望からフェミニズムやポリコレ意識に耽溺するといった場合もある。

 こうした者によくあるパターンとして、自分が業界人であることをひけらかすのだが、下手に作品が公開されているため他者に対してしている倫理的要求を、自作品あるいは関わった作品が全く満たしていないことを指摘され大恥を晒すのがしょっちゅうである。

 またそもそも「私もオタクである」こと自体【嘘松】であり、無知ゆえに馬脚をあらわすことも。

 不知火舞は『ストリートファイター』シリーズ(カプコン)ではなく、SNKの『餓狼伝説』『キング・オブ・ファイターズ』シリーズ等に登場する。いずれも90年代の格闘ゲーム全盛の時代における代表的なシリーズであり、ファンなら到底間違えないタイトルとキャラクターである。

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