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付箋


1〜2年前から、本を読む時に付箋を貼るようになりました。

ガーンと頭に響いた言葉とか、思わず嫉妬してしまうような言葉の言い回しだとか、心を揺さぶられた文章の上にペタリとはる。

百均で買った薄くてぺらぺらしててちょっと透けるやつです。あれすごく便利。



はじめて付箋を貼ったのは、mikuさんが書かれた本「FORTUNE FAVORS THE BOLD」でした。

ちょうど良い機会だと思って、はじめて付箋を貼った箇所を書き出してみる。

ご存知だとは思うが、夢を叶えるのは、神様ではなく自分自身だ。これを忘れてはいけない。夢を見つけた時、1番恐れなくてはならないのはその夢を忘れてしまうことだ。
「FORTUNE FAVORS THE BOLD」  miku



ドストエフスキーとか夏目漱石とかじゃないの、すごく今っぽい。

それまで読書に関しては残すという行為を絡めたことがなかった。映画を観る時だけ、いいなと思ったセリフを書き残していた。

そのためのInstagramアカウントとかも作って、とにかくセリフを書き残すのが好きだった。

どんな場面でどんな表情で言うのか、詳しく説明するのか濁すのか例えて言うのか、役者さんの力量ありきではあるものの、そこには脚本家や翻訳家の言葉へのこだわりがあるようでワクワクした。


今思えば、言葉が好きだったんだろう。





最近は日本語しか読めないのがなんだかもったいなく感じている。

というのも、この世の重要な論文の大半が英語で書かれているように、文学の大半も英語で書かれてるんじゃないかなと今更気づいたからだ。

日本語をネイティブ並に話せる人にしか分からない特有の言い回しだとか美しさがあるように、
英語にも他の言葉にもそれがあるんじゃないかなって、それを知らずに死ぬのは少し嫌な気がしてる。





話は逸れたけれど、付箋を貼り始めていいなあと思ったのは、読むと読むの間に行動を挟むことによってその時に感じた感情を記録することが出来ること。


付箋が貼ってある場所を開けば、自ずと貼った理由を思い出すのだ。


これは日記に近い。

日記ってだいたいはその日のうちの記憶に残ったことについて書き残す。

そして少し経ったあとに読み返すと、直接的な感情を綴っているというのもあるけど、書いた経緯を思い出す。



日常に付箋を張って生きているかのようだなと思った。

忘れたくないのだ。そこに至った経緯を。
その時の感情を。


写真も文章も付箋も全部、忘れたくないの気持ちから生まれてるんだろう。


そんなことを考えながら、今日もせっせと付箋を貼って日記を書く。

読んでいただきありがとうございます。
おやすみなさい。

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