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知れば知るほど面白い「禅」の世界


こんにちは!

心理カウンセラーのhitoeです🌸

今回はマインドフルネスを学ぶ上で「禅」について

学んでいるので、シェアしていこうと思います!

参考著書は

鈴木大拙 「禅学入門」↓↓

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1.禅とは

「禅」の語源である、サンスクリット語の「ディヤーナ」(禅那)には、「知覚する」、「反省する」、「心を集中する」などの意味があります。

つまり、禅とは「知覚」するものであり、「論理」とは正反対のものになります。

論理とは「ある」「ない」などの、所謂二元的思考で成り立ちますが、

禅にはそういった二元性のものがありません。

「すべてをありのままに見る」というものです。

禅は、全宇宙をありのままに受け入れます。

そして、全宇宙を「悟る」ことが禅となります。


っていわれても・・・??ってなりますよね

簡単にいうと「すべてのこだわりをなくし、すべてをありのままを受け入れる」ということが「悟り」へいたる。それこそが禅である。

ということです。

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2.禅とマインドフルネス

禅から派生したものに「マインドフルネス」があります。

禅とマインドフルネスの違いは、「悟りがあるか、悟りがないか」です。

悟りにいたるためのものが「禅」です。

「マインドフルネス」には、「悟り」にいたるという概念がありません。

よって、「禅」と「マインドフルネス」には、

その方向性に根本的な違いがあるのです。

大拙先生の著書には「禅には想を集中すべき対象がない」と書かれているのに対し、「マインドフルネス」は、「いまここ」だけに集中しながら行います。

つまり、「いまここ」にこだわり続けると、「いまここ」という集中すべき対象が存在してしまうということになるのです。

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3.禅は一元論

論理は思考の二元的様式を具えたもの

禅は論理の正反対

二元的なものには、「善悪・生死・物心、空と不空、静寂と静寂など」があります。

生と死も二元的なものなので

つまり禅には、生も死もないということになります。

すべては1つなのです。

「禅は心の全部」
「悟りは身心の区別的な考えのまったくなくなったところに達することにある」

(引用 鈴木大拙「禅入門」)

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4.禅と神

禅に神はいません。

神が「いる・いない」が、すでに二元論になるためです。

禅は二元論ではなく、全部ひとつと考えるので、そこに神はいないのです。

大拙先生の著書にはこう書かれていました。

「悟りは神をみることではない」
「禅は神からの独立さえも要望する」

さらにこうも書かれています。

「仏陀のいるところにとどまるなかれ、 仏陀のおらざるところを速やかに去れ」

つまり、仏陀にもこだわらないということです。

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5.禅は日常に

禅は、すべてをありのままに見ようとします。

その真理は、目の前に展開されていると言われています。

「禅は日々の心にある」
「鳥が空を飛び、魚が水をおよぐそういうものである」
「最も平凡な、そして最も平穏な、普通人の生活裡に、禅は現れている」

(引用 鈴木大拙「禅入門」)

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6.知識や言葉は人間の限界

人間の知識や言葉というものは、それそのものが人間の限界になります。

大拙先生の著書には「禅は全宇宙を超越するもの」と書かれています。

人間は宇宙の一部なのです。

禅は、その宇宙を超越したものなので、当然人間を超越しているものになります。

人間の知識や言葉では、宇宙を超越することはできないのです。


つまり、宇宙を超越した「真理」や「悟り」は言葉にできないものなのです。

「神や、仏陀や、霊魂や、無限や、一や、その他こうした言葉は何ら真実の価値はない。これらはただの言葉であり、観念であって、こうしたものは禅の真理に達するには何の役にも立たず、却ってしばしば誤謬曲解に陥るものである」
「禅には文字で説くべきものなどはない。聖教として珍重すべきものはない」
「我々は余りに言葉と論理の奴隷である」
「真理に徹底し得ないのは、余りに論理的解釈に執着するから」
「言葉は言葉であってそれ以上の何ものでもない」

(引用 鈴木大拙「禅入門」)

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7.悟るとは・・・

悟りはじわじわ来るのではなく、ある日いきなり来ると言われています。

つまり、「考えるな感じろ」ということです。

禅の境地「悟り」というのはまさにこれなのです。

・二元主義の法則に従って、論理的に考える習慣を持っているならば、それを捨て去ること

・禅を知的見地で説明をすることは不可能である。それを哲学的に取り扱うことは正しくない。禅は仲介物を嫌う。それは知的の仲介をさえ嫌うといこと

この2つを意識するだけでも、禅(悟り)が分かるようになると思います。

心理学7

8.まとめ

いかがでしたか?

禅は難しい・・・と思っている方!

「悟り」へのみちは、頭で考えてはいけないのです。

感覚によって成されるものなのです。

ではいったい「禅」は何のためなのか・・・

答えはこころの健康のためです。

日常生活において、この世のすべてを感覚で感じてみましょう。

それが「禅」であり「悟り」への道となるのです✨

最後まで読んでいただきありがとうございます🌸

hitoe💋

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