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死にたいんじゃない、消えたいんだ

何も書くことがない。

何も考えられない。

考えたいか、考えたくないかでいうと何かを考えていたいし、何かをやっていたい、何か結果を残したい。

やりたいことは昔からあったわけではない。

いわゆる就活や真面目な話をする間柄の友達にするような話は、自分的には「そんなことを言っておけば良いんでしょ」という内容ばかり。

「30代には管理職に出世したい」
「40代くらいには独立に挑戦していたい」
あげくの果てには、

「この会社で社長にまで出世したい」なんてバカな戯言を言ったこともある。

ちなみにその時は大変なことを言ってしまったことには気づきもしない。

入社3年目になるときに名古屋に転勤することになった。

転勤する前から「名古屋のA部長はとても厳しいことで有名」「部下を潰している」なんて噂を小耳に挟んでいた。

正直怖いなぁと思って名古屋に行ってみると、A部長はとても紳士的な対応を僕に取ってきた。

しかし程なくしか分かった。

いわゆるドラマに出てくるような大声を出したり灰皿を投げるような分かりやすいパワハラ上司ではなく、表向きは普通の振る舞いをしているが、近くで接すると冷静にコンコンと詰めるタイプの人だ。

出会って3日目くらいだったか、ある用事があってA部長と車で二人きりで移動していた。

「君は将来どうなりたいの?」

就活の面接のような質問が飛んできたので、僕はお決まりの「そんなことを言っておけばいいんでしょ」的な回答として、

「この会社で社長になりたいです。」

と言ってしまった。

ハッキリ言ってテキトーな内容だったけどA部長はすごく目を丸くして「え?社長?すごいこと言うね」と返してきた。

すかさず僕は「いや、まあ、なれるか分かんないですけどね」と言った。

この手のパターンは「いつかなれると良いね」という、信じてないけど上辺で応援するような返答になることが多いがA部長は違った。

「俺の持ってるものを全部落とし込んで、君が地道に努力したら、そうだな、たぶん社長になれると思う。」と言ってきた。

テキトーに言っているのではなく、彼なりにロジックとして考えた意見を言ってきたのだ。

意外な答えに僕は「はぁ、そうですか。」くらいに返すと、
A部長はすかさず、

「良かったら社長を目指してみないか?」

と落ち着いたトーンで言ってきた。

「この人は何かが違う。もしかしたら言う通りにやれば何か変わるかもしれない。」とバカ正直に考えてしまった。

「はい!社長を目指して頑張ります!」

僕は二人きりの車内で少し大きめの声で返事した。

あの時の自分にタイムスリップして会えるとしたら。。。

不思議な話だが2つの事実を予言のように伝えることになるだろう。

「社長になりたいなんて言うから、大変なことになったんだ、未来の君は未だに苦しんでいるよ」
「だけど本当に社長になるんだよ。今の会社ではないけどね」

人生というものは世にも奇妙な物語である。

バカな返事をした翌日からのことはよく覚えていない。

途切れ途切れにしか思い出せないが、たぶん自分にとって大事な話になりそうだから頑張って思い出そうと思う。

ザックリ振り返るとA部長にメチャクチャしごかれる毎日だった。

周りの社員がA部長がいないときに僕の近くにやってきて、
「ねぇ大丈夫?A部長って君にすごい当たり強いよね」と何回も言ってきた。

大丈夫ではないが、どれくらい大丈夫じゃないかが分かっていないから空返事に「ああ、大丈夫ですよ」とだけ返していた。

結果的にうつ病になって休職することになるので振り返ると、周りが言うように「全くもって大丈夫じゃないです」と返すのが正解だったのだろう。

あれからA部長とは何年も話していないし、今後も話す機会はないだろうから、あくまで僕なりの仮説はというと、

恐らく本当に僕を社長、最低でも部長にまでは出世させようとしていた。

そんな感じがする。

「俺は部長だから部長には100%出世させることができると思う。それ以上のことは俺も経験していないから、何をどんな感じで成長させてあげれば良いのか分からないんだよなぁ。社長ってすごいよな」

そんなセリフをA部長は僕と二人きりのときに漏らしていた。

A部長はどちらか言うと他人にはあまり興味がないが、周りで起きている出来事や自分の知らない世界に対する興味はとても高い。

また人一倍に負けず嫌いである。

僕が名古屋に行く前に、別の部下がA部長にはいたが、全然仕事が出来ず福岡に転勤して、福岡では急成長したこと。

A部長がまだ平社員だったころ、当時の上司から「A君と出会って、人を成長させることの楽しさを知ったよ」と言われていたこと。

そして時を経て、「社長になりたい」みたいな変なことを言い出す僕が新しい部下としてやってきたこと。

これら3点がA部長のモチベーションとなり、僕を本気で成長させようと躍起になったのだろう。

普通の人はどう考えるだろうか。

「変なことに巻き込まれたな」
「成長するためには良い機会だ」

振り返ると僕的には両方かな。

家族や近しい友人などは起きた結末しか知らないから、

「うつ病になったのはA部長のせいで間違いない。なんて無能な上司か」

と言ってきた。

人というのは置かれた環境によって関わる人間関係が変わる。

今は経営者、個人事業主、少なくとも部長クラスというマネジメントが主な仕事になる人と話す機会の方が圧倒的に増えた。

彼らは当たり前だが何かしらの能力に長けていて、人をコントロールするのが抜群にうまい。

僕なんて彼らの足元にも及ばない。

つまり僕の目は肥えてしまったので、あの時のA部長はハッキリ言って部長としては平凡もしくはそれ以下だったのと思う。

しかしながらA部長といた時間はとても濃密だった。

明らかにあの時の経験が今の僕を作る土台になっている。

証明する術がないので悔しいが、あの時、A部長に会っていなければ今の僕は居ないと強く言える。

うつ病になって休職して間もない時、別の部署で仲の良かったK部長に食事を誘われたことがあった。

「まあA部長のことが大変だったんだろうけど気にするな。彼は特定の1個がずば抜けているだけでA部長が言っていることが全てではないよ。何を言われた知らんけど気にするな」

K部長の言葉はただの慰めくらいにしか受け止められなかったけど、今では分かる気がする。

A部長はとにかく「ゲームのルールを理解し、攻略法に気付く」ことに長けていた。

ライアーゲームやカイジに登場しそうなキャラクターとでも言うのか。

思い出してみるとA部長から教わったのは「取引先を口説くセールストーク」「あっと驚かせるプレゼンテクニック」のようなものではない。

「人は普段何を考えて過ごしているか」
「バックオフィスをやるような人が考えがちなこと」
「なぜ日本のスーパーマーケットは今も存在できているのか」

禅問答というか人間分析というか「それを知って役に立つときはくるんだろうか」というものばかりだった。

しかしすべて金言であり明日から役に立つ内容であったことは当時の僕には気づけなかった。

今ではフル活用していてA部長の教えが、幾度となく僕のピンチを救ってきた。

「やりたいこと」「なりたい姿」なんてものは分からないが、「今の自分が持っているもの」であればとても明快である。

仕事だけでなくプライベートでも大変なことがあって、「人生2回分くらい経験しているのか」という気持ちになることがある。

生きていると予期せぬトラブルで大金を失ったり、信頼していた人と決別したり、肩書を失ったりする。

目に見えるような分かりやすいものは手に入れやすく失いやすい。

だけれども「経験」は誰にも奪われない。

良いことがあっても悪いことがあっても減るものじゃない。

こんな大変な世の中、自分なりの幸福感を手に入れるためには「希少な経験」が大事になってくるんじゃないかと思う。

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