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手に入れるよりも幸せなこと

無印良品の、無印良品週間(会員は10%OFFになる期間)が始まった。
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待ってましたとばかりに、私は欲しいと思ったものを次々とカゴに入れていく。(実店舗は近くにないのでネットショップでの話)そもそも物欲もそこまである方ではないので驚くほどの金額にはならなかったが、欲しかったものをひとまず全部カゴに入れてみると大体2〜3万円くらいになった。

簡単にポチッとすれば購入できるのがネットショップのいいところでもあり怖いところ。ただ最近の私は実に倹約活動に精を入れており、そう簡単にポチることはしない。

欲しいと思う→ポチる→家に届く→実際に使う。これがモノが手に入る大体の流れであり、欲しかったものが手に入るこのプロセスに人は喜びを感じ、幸せを噛み締め、買ってよかった〜と心躍らせるのだろう。

もちろん私ももう35年弱生きてきているのだからこの喜びを知らないわけではない。というかむしろ物欲が人より少ない分その喜びを人の何倍も感じることも大いにある。物欲は極端に無くすべきものでもないし、欲しいものを手に入れた時の人生の彩られ具合といったら計り知れないというのも事実である。

しかし、今の私は倹約に力を入れていると書いたが、まず一度欲しいものを全てカゴに入れたら、一つ一つの商品と対話をしてみることにしている。

「本当に必要かしら?」
「本当にそれが欲しいの?欲しいと思わされてるんじゃない?」
「どうしてもそれじゃないといけないの?」
「必要なのは絶対に今?」
「ていうかそもそもあなた私の元に来たいのかい?」などなど。

そんな対話をモゴモゴとしていくと、私の中で溢れ出ていたショッピングドーパミンがゆるゆると落ち着いてくるのを感じ、その中で「本当に今の私が必要であり欲しいモノ」にたどり着くことができるのだ。

その結果、今回の無印良品週間においてのショップカゴの中には、1つしか買いたいものが残らないという結末に。


私が「あ!欲しいかも!」と思うものは、大体暮らしを便利にしてくれる便利グッズだったり、衣服や下着、ちょっとした美味しいお菓子だったりする。

まさに無印良品は世界観も好みなのもあって、すぐポチりそうになってしまう。

ただ、一つ一つを手に入れた時の喜びは間違いなくあるものの、自分にとっての喜びを深く深く観察してみると、それらを手に入れた時の喜びは、ほんの一瞬のものであることがわかってきた。手に入れたときのやったー!といった快感、つまりドーパミン的喜びは、長くは続かない(らしい)というのを、体感した。(なんなら買って満足、またはしばらく使ったら飽きる、というのも何度も繰り返してきている。)

私が5年前に沖縄の田舎に移住してきてからというもの、基本的には何か欲しいもの、足りないものがあれば今家にあるものでどうにかしないといけないというこの環境を、実はものすごく楽しんでいる自分がいるみたいなのだ。(特記:こんな田舎に住んでいるのに私は免許を持っていない&夫が仕事でいない時はどこへも行けないのが通常である。)

なんでもポチればすぐ家に届く(またはすぐ買いに行ける)この現代社会で、私は実はとても厳しい環境に身を置いているのかもしれない。そんな中、欲しいものが今手元にないのなら、あるものでそれらしきものをどうやって作るのかを考える。さらにあるものをそれなりに魅せるにはどうしたらいいのかにも頭を捻らせる。そして出来上がったものを目の前に、その瞬発的なドーパミン的喜びを超える、永続的なセロトニン的喜びが私の心身を満たすのをひしひしと感じる。


なんでも作れる自分であることが、なんとまあ楽しいこと楽しいこと。

欲しいと思ったものを手に入れる喜びより、試行錯誤しながらゆっくり創り上げる喜びがこうして日々を満たしてくれたら、私の人生もう万々歳なのだろう。

ああ、私の喜びはこれだったかと、こんな小さなことに喜びを感じれる自分の感性に、こうして毎度拍手するのである。

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