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私がわたしに還るまで|わたしの中のわたしにごめんなさい。

新しい人に会ったり、大人数の場に行くのが
実はとにかく苦手

(直接わたしに会ったことある人は、
「え、まじ?そんな風に見えないけど!」って思うと思うけれども。)

そんなに小さい頃から人見知りではなかったし
わいきゃい色んな知らない大人の後ろについて歩いて
よく迷子になってたくらい
人はとても大好きなはず。

それが大人になってから
一般的にいう隠れ人見知りみたいになったのかもしれない。

“理想の人“をインストールするのを学ぶ

元々は本当にただただ人が好きで
くっついて歩いていたのが
やっぱり人は怖いもの、傷つけられるもの
合わせないと仲間外れにされるもの
(いじめられたりするとね)
そんな風に変わってきたんだと思う。

そして、
自分を偽ることを始めたのが、
きっと小学生くらいの時。
(メンタル的にやられて過敏性腸症候群が悪化したのもそのくらいの時)

そこからこうして今、
大人になったわたしは学んだらしい、
自分を偽ることは辛いから、他の“理想の人像“をインストールしよう、と。

人と会う時、

そのままのちゅるっちゅるのピュアピュアな(自分で言う
ノーガードのわたしで行くと、やられてしまう・・・!
これは鎧を被らないと・・・!!!
でも自分の鎧だと弱っちいから
「この場にいるべきこのわたしじゃない誰か」の鎧を着ちゃえ!!!!

そんな思考になっていたらしい。

HSP気質が強くて、そもそも刺激に弱い
豆腐メンタルなわたしがそのまま突撃したらやられる、
そう思ったのでしょう。

だけど、同時にエンパス気味で人を読み取ることも
いい意味でできるからこそ、
“この場にいるべきもっと強い誰か“を
そのままわたしにインストールして
日々活動するようになったのだと思う。
(エンパスも使いようだな、ふむ。)

自分自身を無視してることに気づく

他人の鎧を被って、
しばらくわたしはきっとやってこれた。
いや、相当やってきた。長ーいこと。

強い人ぶることで、

・コミュニケーション能力も高い
・仕事もできる
・綺麗(おい
・稼げる(それな。それは
前々回の記事で書いたやつ。)

そう思ってもらえるようになった。

周りからはそう思ってもらえるようになったのだけれども
わたしは同時に気づいてしまう。

わたしの中のわたしが
「それわたしじゃなーーーーい!!!」と叫ぶのを。

しかもこの子、
相当叫んどる。

なんなら叫びすぎてそろそろ死にそうらしい。
(自立神経失調症が本気で悪化して動けなくなったのもきっとその時)

それ気づいてしまったらもう最後、
わたしは、鎧は一旦置いて置いて
わたしの中のわたしの看病に入らねばならなかった。

わたしは結局わたし自身に勇気をもらった

わたしの中のわたしの看病を始めたと思ったら
この子はまだまだ豆腐野郎で
恐ろしいくらいピュアピュアだった。

これを喜怒哀楽というんだろうって
見て取るようにわかるくらい

嬉しくてずっとケラケラ笑ってるか
ムキーっ!ってすぐ怒るか
悲しくてわんわん泣いてるか
楽しくて一人で歌って踊ってるか

ほんとーーに、それだけ。笑

でも
でもね

わたしはこの子に
ものすごい勇気づけられたんだ。

本当にシンプルに想いのまま生きてるわたしは
きっとこんな感じなんだって。

今までこの子をいないことにして
蓋をして見ないようにして
この子を隠した上で
全然関係ない外の人に違う自分のまま認められようとして。

もう、本当にごめんねしか言えなかった。

この子が生きていける世界に

正直、まだまだ鎧の出番は多かったりする。
これはもう、
わたしの癖になってしまってることでもあるから
どれだけ周りがそんな鎧をきたわたしを求めてなくても
外に出る時にコートを着て出掛けてしまうくらい
さらっと着てしまって
外に出てから、あ、もう寒くなかったんだって
あとから気づくこともあったり。

でもこれを繰り返していくうちに
鎧を着ている自分にまず気づけるようになって
気づけたら、
今度は自分から脱げるようになって
脱げるようになったら
着ないでいられるようにもなると信じてる。

そして何より
この子は、着ないであげたほうが心地良さそうなんだ。

清々しくて
どこまででも行けそうで

あっち行ったりこっち行ったり
ちゃんと見てないと危ないときもあるけど
この子を信じて
一回どこまででも行かせてあげる。
帰ってくるところはちゃんとあるからって。

怖いかもしれないけど、

わたしは、わたしを、自由にしてあげるんだ。
わたしは、わたしに、還っていくんだ。

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