1日の隙間に、「静」の時間を。
世の中は、朝日が登ると同時に始まるけれど
日が沈んでからもなかなか終わらない。
日が沈んでからしばらくは動きっぱなしで
そろそろ寝る時間という時にやっと終わり始める。
1日の中で「動」が占める時間の割合がとても大きい人が多い。
それなのに人はまだまだこれじゃダメだ、足りないと
声を荒げながら日々進む。
1日の中で「静」が占める時間はどのくらいあるのだろうか。
寝ている時間は静になっているのだろうか。
仕事の間の「休憩」という休むとされてる時間だって人は止まらない。
もしかしたらカラダは止まっていても、アタマはむしろずっと動いている。
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人のカラダの中にもバランスよく動と静のエネルギーがあるように
(動脈と静脈とか。交感神経と副交感神経とか。)
人が起こす行動にも、動と精のバランスを取り入れる必要がある。
1日が24時間なことを踏まえて
睡眠時間が6時間というていにすると
1日の1/4しか静の時間を過ごせていないことになる。
つまりは、1日の中で静の時間があと6時間足りないという計算になる。
(睡眠時間がちゃんと静の時間になっている場合の話。
動の時間の割合が多い人は睡眠時間もほぼ動になってる可能性は高いはず)
これはそのまんまシンプルに
半分半分でバランスをとるという場合の仮説の話だけれど
理想の動と静のバランスは人によって様々。
自分にとってのちょうどいいバランスを見つけて
その動と静のバランスを保つことが
人間の生命活動を1番スムーズに行かせるための“鍵“になる気がしている。
*
人はどういったときに静の状態になれるのか。
現代の人は、身体よりも心が静になっていることが重要。
もちろん体も静になっていられれば1番だけれど。
静の状態とは、「無」の状態のことだとわたしは思う。
頭の中を空っぽにして
頭の中の断捨離をして、お掃除すること。
頭の中になーんにもないって感じれる状態のこと。
つまりは思いっきり
『ぼーーーっとする時間』っていうこと。
散らかしたら片付ける。
それは小さい時から怒られながらも
ずっと親に言われ続けてきたことで
それを頭の中でもちゃんとやっていこうってこと。
動で散らかしたら、静で片付ける。
思いっきり使ったら、思いっきり休ませる。
ぼーっとする時間が
頭の中を片付けてくれる。
情報を一切入れない。
スマホは見ない。人とも話さない。
音楽も聞かない。何も考えない。
ただただシンプルにぼーっとするだけ。
*
ぼーっとするときの無の状態のことを
マインドフルネスと呼んだりする。
なんだか難しいもののように思えるから
あんまり考えなくていい。
ただただ無心でぼーっとしてたら
それはマインドフルネスになってるから。
1日のちょっとした隙間に
1分でも30秒でも
ぼーっとしてみよう。
トイレに入ってる時でも
電車に乗ってる時でもいい。
不安も期待も予定も過去も
全てをとりあえず隣に置いといて
(捨てなくていいから)
一旦ぼーっとしてみよう。
わたしもこれを、ほぼぼーっとしながら書いている。
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