積んで重ねて
わたしはとても飽き性なこともあって、継続というものがなかなかできない。楽しいことも、ワクワクすることも、瞬発力は人より長けてる気がするのだけれど、持久力が全然ない。色んなことに興味を持てる好奇心旺盛な方であるが故に、一つのことを細く長く続けることが難しい。
今までは、継続しなくても結果が出るようにしたり、飽きるという性質を生かした(と言っていいのかわからないけれど)不安定な生活を楽しめるようなライフスタイル作りに注力してきていた。それはそれでものすごく楽しいもので、全ての鮮度が高くて、私自身のフレッシュさもそれによって保たれてきたように思う。
ただ、最近は「安定」という感覚を求める自分の声が、心の奥から聞こえてくる。いや、その声は正直、もう何年も前から聞こえていたのが本当のところ。だけど、今が楽しくて、その時の瞬間的なアドレナリンがその声に蓋をしていたように思う。それがそろそろ、無視できないくらいの声の大きさになってきていて、“どんなものが自分を安心させられて、どんなものが楽しめるものか“を明確にして、行動に移していかないといけないときがいよいよ来てしまったなと感じている。
今の時点でわかることは、わたしが安心を覚えることができるのは「自分には積み重ねてきたものがある」という事実。だから継続ができない、積み重ねられないわたしには、普段安心を感じられる時間がとても少ないのだと思う。とは言っても、やっぱり生きている以上、何かは絶対に積み重ねてきているはず。何かの積み重ねが今のわたしであることは間違いがない。
積み重ねられることは、自分に負荷のないもの
今まで継続ができなかった理由の一つが、自分に負荷をかけないとできないことを続けようとしてきたことだと思う。「よしっ、やるぞ!」と腰を上げないとできないことを続けようとしていたことで、その腰が上がらなくなったタイミング、上げるのが億劫になったタイミング、何のために上げないといけないかがわからなくなったタイミングで、続かなくなっていた。
ただ本当に継続ができることって、どんな状態でもやらずにはいられないことなはず。朝目を覚ますこと、起きたら顔を洗うこと、お腹が空いたらご飯を食べること、人と会話をすること、歯を磨くこと、お風呂に入ること、眠くなったら寝ること、そのくらい自然にできていること。そのレベルで継続できることに、自分にしかできないこと、自分が意識せずに人よりもこだわってしまってることを合わせていければ、継続することもそんなに難しいことじゃないはず。
ゆっくり小さく積み重ねたものは、なかなか崩れない
わたしは今まで、瞬発的に大きなものを作り上げて、次の瞬間には壊れるということを何度もしてきたように思う。だけどそれの破壊力は恐ろしくて、大きなものを作るエネルギーはきっと何よりもエネルギッシュで大きいけれど、壊れた後の喪失感というか、またこれを作るのか…という心の降下が激しい。
ただ、ゆっくり確実に積み上げたものは、一気に崩れることはない。健康と同じで、毎日運動もせずにカップラーメン生活してる人が突然病気になって手術をして治ったとしても、また同じ生活を続けていたらきっとまた病気になるけれど、毎日しっかり小さな運動と食事と睡眠を大切にして、自己免疫力が上がっていれば小さな風邪なんてほとんどひかなくなるし、病気も大ごとになる前に身体が勝手に治してくれる。人生もきっとそういうものなのだと思う。小さく小さく積み重ねたものは裏切らないし、積み重ねた結果、人生を通して大きな安堵を与えてくれる。
失敗が小さくて済む
積み重ねることが意外と楽かもしれないと思わせてくれたのが、ひとつひとつ、一歩一歩が小さいからこそ、失敗したときに大きな損害が出ることもないということ。今まで大きなアップダウンを繰り返してきたわたしは、ローリスクローリターンな選択をほぼしてきたことがない。橋を叩きながら渡ったこともない。でも、命を守るためにはそんなに何回も自分を痛めつけていたら、生きれるものも生きれなくなってしまいかねない。身体の強いうちにある程度痛めつけてきたからこそ、これからは自分に傷かつくとわかってることはできるだけ避けて、丁寧に大切に自分を扱ってあげてもいいのかもしれない。
全てを小さく積み重ねる必要はないけれど、小さく積み重ねる部分と、大きく羽ばたく部分のバランスをしっかり取ることが大切なのだと思う。わたしは100%で大きく飛び回っていたから、できるならこれからは、半分半分くらいの割合で自分の人生の時間を使っていきたい。2022年は、きっとそういう年になる気がしている。
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