言葉は通じても話が通じないということ
先日、友人との会話でたまたま盛り上がった話と全く同じことが、ちょうどその時読んでいた本の中の一文に出てきて、私は急に椅子から立ち上がりたくなるほど興奮してしまった。この言葉は、本の中に出てくる編集者が作家である主人公にかけた一言で、この言葉にはこんな話が続く。
『世界のほとんど誰とも友だちにはなれない』
——-誰の言葉でしたでしょうか、あれは本当だと思います。
だから話が通じる世界 —— 耳をすませて、言葉をとっかかりにして、
これからしようとする話を理解しようとしてくれる人たちや、
そんな世界を見つけること、出会うことって本当に大変なことで、
それはほとんど運みたいなものなんじゃないかと思っているんです。
からからに干上がった砂漠かどこかでにじんでいる水源を見つけるみたいに、
生きることに直結する運みたいなものなんじゃないかって。
同じ「日本語」を話しているのに、なんだか理解し合えない、心が動かない、動かせない。そんなことは日常茶飯事だ。そして分かり合えないことに悩み、一生懸命言葉を駆使して対話を繰り広げてみるものの、やはりどうしても距離が縮まらない。「ああ、だめなのか」と落胆する。
一方で、ほとんど『正しい言葉』を使って会話をしていないにも関わらず「本当それ!」「わかる〜!」「そうそうその感覚!」みたいに、以心伝心とはこのことかと言わんばかりの意思疎通ぶりに感動することも、同時に多々ある。
友人と私は、この現象を「住んでる星が違うから、いたしかたがない」と結論づけた。言語が違えば、住んでいる場所も違って、文化も違って、価値観も異なるのが大前提。だけれど、これは「言語」が同じ場合でも容易に起きていることで、普段同じ環境であたかも同じバックグラウンドを持っているかのように暮らしている人とでも、いつどんな時でも起きている現象なのである。
話が通じないという現象はつまり、同じ言葉を使っていても、その言葉がもつ意味合いや定義が根本的に異なっているということが、このすれ違いを生んでいるのかもしれない。
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以前、仕事関係の知人と「平和」について話し合ったことがある。というのも「やっぱり自分でビジネスをする、働くということの最終目的は、世界平和だよね」といったような大きくも浅い話であったものの、『なんのために働くのか?』の答えが、お互い「世界平和のため」で一致した、という一つの会話があった。
一見、特になんの誤解もなく、むしろお互いのビジネスのゴールが一致してとてもやりやすくなったかのように思えるこの会話だけれど、話せば話すほど、そこには大きな差異が生じていたことに気づき始めた。
私が「平和」を定義づけるとするのであれば、「今この瞬間に心脅かされることが何もなく、満ち足りた安心した気持ちでゆっくりお茶が飲めること」がそれである。その平和を作り出すことがわたしにとっての「働く目的」であり、もしそれをビジネスとして拡大するという意思があるのだとすれば、たくさんの人のそんな小さな幸せを感じられる時間を作るお手伝いができたら嬉しいと言った具合である。
しかし、同じ「平和」という言葉を使い「働く目的」について語り合っている中で、その人にとっての「平和」とは世界中の人たちが平等に資源を手に生きられることであり、「働く目的」は世界の貧しい人たちに経済的支援ができる自分であることを指しているようだった。
ただ単に、マクロな視点かミクロな視点か、といった違いなのは、きっとそうであろうと思う。それだけの違いなのだろうと思い込むことができないわけではないのだけれど、私にはなんだかそれだけだとは思えなかったのだ。
ある意味どちらも同じ状態を平和としているし、働く目的も遠からずではあるのだけれど、この会話は察しのとおり少しずつすれ違うことになる。
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淡い優しい桜色や、澄んだようでくすんでいる藍色やふわふわ柔らかい土色が、まあるく曲線的にじんわり重なり合い、ゆっくりバランスも形も変えながら空気に溶け込んでいく。それが私にとっての平和の色。はっきりとした境界線もなく、ある意味とても平面的で、重さが存在しない。
私はその知人ではないから本当のところは何をイメージしているのかは明確にはわからないけれど、きっとこの私にとっての「平和の色」とは異なる色合いをその人が見ているように感じられたのは、私にとって拭うことのできない違和感となって残った。
視点の大きい小さいの話に加えて、この色合いの違いが「話が通じない」という壁を生んでいるのは間違いないように思う。
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この違いがあるからこそ、その間に起こる摩擦によって生まれるアイデアやインスピレーションに私自身も恩恵を受けているのは否めない。だけれど、人との繋がりが「話が通じない人」とばかりになればなるほど、たとえ人との繋がりが数としては増えたとしても、そこに残るのは実際にひとりでいること以上の「孤独」なような気がしてならない。
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