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オーガニックババアからオーガニックおばあちゃんへ

ちょっと意味不明なタイトルだと思われただろうか。「オーガニックババア」とは、私が実家に帰った時に家族に呼ばれる呼び名。母親と妹からは、何をするにも「オーガニックババアだからな仁美は」とよく言われる。

要は、私が「オーガニック」が好きだというのを言いたいだけの呼び名なんだけれど、含んでいる意味合いとしては「オーガニックじゃないものは選ばないっていういちいちうるさいやつ」といったところだろうか。私は私の持つものや買うものにこだわりを持つあまり(オーガニック、無添加、動物実験していない、生産者がわかる、プラスチック不使用などなど)、自分の家にいるときは自分の好きなものだけ置いてるから問題ないのだけれど、人の家(この場合は実家)にいくと、もちろん自分のこだわりに値するほどのものがないことも多いし、もちろんその人はその人のまた違うこだわりのもとにものを置いているのが当たり前なので、生活しづらくなることがよくある。

もちろん人様の家に行ってわざわざ小言を言ったりはしないし、何かを求めることはもちろんしない。そんな厚かましいやつではないけれど、この場合は実家なので、野菜は有機野菜がいい、化粧品は無添加がいい、シャンプーは使いたくない、お肉もいらないなど、遠慮なく言いたい放題言うこともあり「オーガニックオーガニックうるさいやつだなあもう」という意味で、オーガニックババアと呼ばれているのだ。

別に本当にオーガニック好きだし、ほとんど自分の基準で我が家では選んでるから他の人にそう呼ばれても別に問題ないと思っていたのだけれど、そんな私の心持ちが最近少し変わってきた。というのも、口うるさい「オーガニックババア」でいるということは他の人にとっても、実は自分自身にとってもストレスフルであり、精神衛生上よくないなと気づき始めたのである。

オーガニックのものや地球に優しいものは確かに好きである。確かに好きだけれども、それと同時に「オーガニック以外は悪」という観念もまあまあ強めに持ってしまっていたのが私の場合問題であり、オーガニックババアと呼ばれる所以でもあったことに気づいた。自分なりの正義を持つことは悪いことではないけれど、その正義に反するものが現れた時、それらは全て敵になる。正義を持つことで、他の正義とぶつかってしまうのだ。それに改めて気づけたとき、私は自分の正義を主張し、日々人との間でも自分の中でも小さな戦いを起こす口うるさいオーガニックババアを卒業して、ただただ好きなものを好きで愛でているだけの、なんでも受け入れてくれる器の大きい平和を愛する可愛いオーガニックおばあちゃんになれてきたような気がした。

そうなると、『オーガニックでもいいし、オーガニックじゃなくてもいい』と素直に思えるようになってきたのである。選択もこだわりも(当たり前のことだけど)人それぞれだし、何を選ぶことがその人にとって幸せかなんて、そんなの他人の私が決めれることじゃない。何を選んで、何を経験するか、その人がその人なりの選択をするだけなのだから、私は私で、私が何を選んで何を経験するかを自分で選べばいいだけである。そして、これに気づけたことによって大きく変わったことの一つが、人の選択を受け入れられるようになると、自分自身に対しても「何を選んだって大丈夫」という広い心を持てるようになってきたのである。当たり前のことのように思えるけれど、オーガニックババアだった時の私は、自分自身にも相当厳しかった。今どれだけそれが欲しくても、自分のこだわり通りのものじゃなければ買わないようにしてきたし、そうじゃないものを買ったり選んでしまった末には後悔の嵐が訪れる。そして永遠に自分で自分を責め続ける。そんなことが当たり前だった私からしたら、オーガニックババアからオーガニックおばあちゃんになれたことは、私の世界にものすごい平和をもたらしてくれた。

世の中に、「こうでなければいけない」ということなんて何一つないことに改めて気付かされた。最初は「こうであればいいな」くらい小さくて優しい想いだったものが、いつの間にか姿形を変えて「こうでないものは消えてなくなれ!」というくらい、正義という刀を振りかざした醜い侍になってしまっていたようだ。これからは、ただただ好きなものを愛して、どんなものも受け入れてあげられる心の広いおばあちゃんでい続けたいなと切に思う。

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