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父の背中と無敵な私

無心に車のハンドルを回す夫の横顔を見ながら思う、『この人はどんな父親になるのだろうか』と。

ちなみに一応明記しておくと、私たち夫婦に現在子供はいないし、今のところ妊活をしているわけでもない。ただふと、そんな妄想が頭に浮かんだというだけの話だ。

私にとって「お父さん」というのは、この世で1番強い人だった。どんな強い敵からも私を守ってくれる人。実際の父がどれだけ強いのかと言われたらそうでもないのかもしれないけれど、そんなことを考えた時に、父との大切な思い出の1場面として私の頭をよぎるのは、私がほんの小さい時、父の背中におぶさってお化け屋敷に入ったあの数十分のことだった。

今となっては記憶はある程度美化されてるだろうし、実際の父が強かったかどうかは定かではない。ただ、父の背中におぶさるくらい小さかった私は、あの瞬間のお父さんというモノがこの世界で1番強い存在に思えた。

ーー

小さかった私は、ちびりそうなくらいの怖い気持ちを我慢してでもお化け屋敷に入りたかった。1人でお化け屋敷の中を闊歩しながら先に進んでいく勇気もないし、かといってきゃー!怖いー!といってかわい子ぶりながら楽しむ勇気もないものの、どうしても怖いもの見たさでこの暗闇の中を経験してみたい、そんなことを思う子供だった。

怖いならやめたら?無理に入るもんでもないという周りの声に反発しながら、「パパにおんぶして入る!」と言った自分は、めんどくさい子供だっただろう。(自分から言ったような記憶はある。)

小さいと言っても普通に遊園地を楽しめるくらいの年齢の人間を1人おぶって、短時間とはいえ(30分とかかかるよね?)お化け屋敷の中を歩くのは意外と腰に来ただろうなと、今では思う。

そして私は、父の背中にしがみつきながらお化け屋敷に入っていった。それだけさせておいて、怖い映画を指の隙間から恐る恐る観るときのように、私は基本的に目を瞑りながらちらっ、ちらっと見るだけだった。そして驚かされれば、わー!!!ぎゃー!!!と父の耳元で大声で叫び、早く進んで!と父にこれでもかとしがみつく。

こわくないこわくない、大丈夫大丈夫と言い続ける父。その数十分は、きっと幼かった私にとってものすごく怖かった時間だったはずだけれど、何年も経ったあとから思い出すその数十分は、私の中の父という存在が、何があっても絶対に私を守ってくれる強い人という一生の安心感を私の心に刻んでくれた時間だった。

そして、父の背中におぶわれた一見ビビっている小さな私は、絶対に私を守ってくれる安心感と共に、「私は強いんだぞ!なんでもかかってこい!(パパが守ってくれるんだからね!)」という気持ちで、お化けと真っ向から戦う無敵な戦士のつもりにさえなっていた。

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今こうして思い出すと、私が大きくなってきてからも、父は(母と共に)ちゃんと私を守ってくれてきた。(実際守ってくれたかどうかではなく、守られていると私が感じられたという意味で。)

大きな虫が出て私が泣きそうになれば追い払ってくれたり、学校やコミュニティで他人から何かされて落ち込んでると、母には「あんたが嫌な思いするならそんなところ行かなくていい」「あんたは悪くない」と言われ(悪いところはむしろこっぴどく怒られるけど)、父は「誰だお前にそんなことするやつ。パパが2度とそんなことできないように追い払ってやる。」と言って私より怒り始めたり。

小さな時の記憶は、こうして大人になった今でも心がしっかり覚えているもんだなと自分でも驚くけれど、そんな些細な出来事が今の私をものすごく形成していて、そしてものすごく、守ってくれているんだなと思う。

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もしかしたら自分がいずれ母親になる可能性があるように、夫にも父親になるかもしれない未来がある。

自分はどんな母親になるかなあと自身では客観的に予想もできないことをなんとなく考えるより、この人はどんな父親になるだろうと夫に対して妄想を巡らせてる方が楽しいのは、私に安心感を残してくれた過去の小さな出来事のおかげなのだろうと、なんだかふふふと嬉しくなる。

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