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世界を変えたいとは思わない

「きっと私たちの人生って、全てがなるようになってて、全てが私たちが経験すべきこととしてもうすでに用意されてるんだよね。」
先日友人とこんな話をした。

最近はなんだかこういう思考になることが多い。世の中で活躍している人たちや、いわゆるビジネスで成功している人たちは、なんとなく「世の中を変えたい」「もっといい世界にしたい」という強い想いを持って活躍されてる人が多いように感じる。その熱くて強い想いが周りを動かして、経済も動かして、さらには自分自身をも動かして、突き進んでるように見える。

その一方で、今のわたしにはその熱量はない。(と言っても昔わたしは熱の塊みたいに、アッチッチの人間だった)「変化」を意図して起こすより、「変化」はしてしまうものだろうなと最近は感じるところもあるし、どんな時間にも全て意味があって、全てが最後には繋がるものだとも思うから。そんなプロセスの中に、世の中を変えたい人たちの革命という変化も含まれているのかもしれないけれど。

流れに逆らうことほど、生きにくいことはない。力むことなく、流れに流されるように生きることも、大切な生きる手段の一つ。だからといって流れに溶けてなくなるわけじゃなくて、わたし自身、ちゃんと自分の意思は強く持っているつもりだ。世界は変わってしまうもの。そして、その中で私たちが流れに逆らわないためにできることは、自分を変えざるを得ないくらい、むしろそんなこと一切意識せずとも心が躍ること、踊って踊って仕方がないことに対して、ただただ素直に動いていくこと、それだけなんだと思う。それはきっと、自分が経験すべきこととしてきっと宇宙から提示されていることだろうし、その先に世界の未来がきっと(良い悪いは別として)進んでいくという印。

何か心が躍るものが目の前に表れるときって、失敗したら怖いからやめとこう
周りから色々思われるのが怖いし
お金がないから、時間がないから今はやめとこう、
そうしてストップをかけてしまうことが多い。

ただし、そういう気持ちは人間に当たり前に備わった防御感覚。絶対にあるものだし、そう思って動けない自分だけが弱いわけでは決してない。だけど、それは自分の今までの経験をもとに、自分の思考が自分に対してNOと言っているだけであって、その思考自体が流れに逆らうために起きていて、今まで安全だったその場所に留まるために出てきている思考でしかない。
だからこそ、『やっぱり一歩踏み出せない自分』より『何かしらに意図せずとも心が躍った自分』にフォーカスを変えてみて欲しい。一旦は行動に移せなくてもいい。意識を後者に向けてみるだけでいい。それだけで、わたしの人生はやっぱり変えないといけないんじゃなくて、仕方がなくも変わっていくもの、こうしてなるように導かれているだけ、そう思えるんだと思う。そしたら、変わらなきゃ!進まなきゃ!という肩の力を抜いて、自然と自分らしく、力を抜いて、自分にしか歩めない人生を、世界線を、生きていけるんだと思う。

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