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私の不登校③

担任の先生に学校を休みたいと相談した。

「そんなの、ちゃんとした理由がないとだめだよ。病気です、とか、精神的な病です、とか。お医者さんの証明がないと休めないよ」

こんな先生の言葉になぜか反抗心が芽生え、もう、絶対に休んでやる!みたいな気持ちになった。

もう絶対休むと決めたので、まずは友人にその報告をした。同じクラスで特に仲の良かった友達2人を体育館に呼び出し、正座の膝を突き合わせた。

私はしばらく学校を休むことになりましたが、心配しないでください。

いざ話すとなるとなぜか緊張して、少しかしこまった感じになった。2人は、驚きも茶化したりもしないで、下を向いて静かに聞いてくれた。

1年も終わりに近づき、次年度の教科書の販売があったが、休むと決めていたので私は購入しなかった。

結局学校を休む理由は作れないまま、1年は終わり、春休みが終わり、2年になった。時々登校すると、教科書が無かったので、そのつど隣の席の子に「見せて」とお願いして、机を付けて授業を受けていた。

2年になってもなんとなく学校へは行ったり行かなかったりしていた私に、転機が訪れた。

数学の先生がカッコよかった。

先生と話したくて、数学の自主学習を毎日提出したり、先生の服装をチェックして手帳にワードローブをまとめたりしているうちに、気が付くと普通に学校に通うようになっていた。

私の高校の不登校はここで終わり、この後は卒業まで出席日数が危なくなることもなく、楽しい学校生活を送った。と言っても、それまでが楽しくなかったわけではない。ただ、なんとなく学校へ通わないこともあった、というだけだ。


大学でもやはり休みがちになったが、それには「ちょっと変なサークルに入ってしまって大学どころではなくなった」という、明確な理由があるので不登校とは呼ばない。私の不登校は高校までで終わったと思う。


なぜ私は学校を休みがちだったのか。その理由ははっきりとは分からない。ただなんとなく、本当にそれだけで学校へ行かずにフラフラと公園へ行き、本を読んだ。犬と遊んだ。

集団行動が苦手だから学校に息苦しさを感じたのかもしれない。それでも、2年生からの2年間は学校へ毎日通うことも楽しんでできたのだ。

学生時代、子どもは、そういう正体不明で、あいまいな存在なのかもしれない。「なんとなく」がむき出しになってしまう。

社会人になってからは出社拒否のようなことはなかった。なんとなく会社に行きたくないという気持ちを、社会人としての責任感でカバーしてきたのか。その結果、今はフリーの立場を選んでいる。


ふと思う。高校2年生の時、数学の先生がカッコよくなかったら、私の不登校は続いていただろうか。そのまま大学へ行かなくて、変なサークルにも入らなくて、きっと今の自分とは違う自分になっていただろう。


こんな小さな出会いが人生の転機になる。


どの出会いが私をどこへ導くのか、私の背中を押しているのか、きっと気づいていないものがたくさんあるのだろう。

だから、高校へ行かずに読んだ、今では題名すら覚えていない本や、なぜかいつも私を待ち伏せしてくれていた犬、ブランコでぼーっと空を眺めていたあの時間、泣いてくれたおばちゃん、そんな一つ一つがあってこそ、今の私があるのだろう。

ありきたりだけれど、フラフラとしていたあの時間は、無駄ではなかったと思う。


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