台湾女子のひとり言。

台湾生まれ、台湾育ちの台湾人。 日本のアニメやドラマがきっかけで日本語を独学。 日本在…

台湾女子のひとり言。

台湾生まれ、台湾育ちの台湾人。 日本のアニメやドラマがきっかけで日本語を独学。 日本在住経験あり(交換留学と就職で)。 大学・大学院時代は歴史専攻、1920~1930年代の日本、台湾歴史や文化に興味あり。 #ひとり言の内容は #個人的昔話 #台湾生活の日常 #歴史も少し

マガジン

  • 1935年 台湾博覧会

    1935年、台湾がまだ日本に統治されている頃には、台湾全土を熱狂させる一大イベントがありました。その名は、「始政四十周年記念台湾博覧会」です。  研究論文によりますと、台湾の人口は約531万人に対して、50日間の開催期間で来場者数は延べ2,758,895人でした。しかも在台日本人は28万人だけなので、この来場者数の記録を作ったのは、台湾全土の住民のおかげと言っても過言ではないと思います。  では、どうして当時の皆さんは、この博覧会にこんなにも熱狂になりましたか?その魅力を、シリーズ記事という形で少しずつご紹介したいと思います!内容は各会場の紹介や、余興、宣伝イベント、そしてこの博覧会で働いていた「女性たち」にも焦点を当てようと考えています。

最近の記事

🟠オレンジの悪魔 X 台湾国慶日㊗(10/13更新)

10月10日は、台湾の「双十節」=国慶日で、いわゆる建国記念日です。今年は、日本で「オレンジの悪魔」の異名で知られる京都橘高校(京都市)のマーチングバンドが、総統府で開かれる祝賀式典でパフォーマンスを披露することになりました。「双十節」の式典でが海外の楽団が演奏するのは、初めてです。 「オレンジの悪魔」襲来! 京都橘高校吹奏楽部は、今回中華文化総会や国慶準備委員会の招待で、日台交流協会のサポートを得て、10月5日に88名の生徒と5名の教師が台湾にやってきました。 式典の前

    • 【1935年台湾博覧会 #4.5】食欲の会場 “うまい名物”を漁る

       もうすぐ日本、台湾の間に自由に行き来できるようになりますが、やはり台湾旅行と言えば、欠かせないのは「食」ですね!10月になると「食欲の秋」にも入り、なのでこの記事を紹介するにはピッタリなタイミングではないかなと思います。  1935年台湾博覧会には、たくさんの日本と台湾のご当地名産が会場内に販売され、それを紹介する記事がありました。そのタイトルは、「食欲の会場 “うまい名物”を漁る」です。  このnote投稿は、記事に記載されている名産を一つずつ紹介したいと思います。今

      • 【1935年台湾博覧会 #4】毎日お祭り状態の50日間!その魅力とは? 第二会場・後編

        第二会場・中編はこちら👈 当時の会場地図を参考に、現在のGoogleマップと照らし合わせて、分かりやすい地図を作ってみました。 そして、今回は新しい試みとして、google mapの機能を使いて、現在の228公園に当時第二会場にあった展示館や設備をマークしてみました! さて、旅を続きましょう! 今回この記事を書くにあたって、最も難しい部分は、こちらの「子供の国」です。 敷地面積は約3,000坪、約野球場一面くらいの広さもありますので、文字の記載はありますが、設備の相

        • 【1935年台湾博覧会 #3】毎日お祭り状態の50日間!その魅力とは? 第二会場・中編

          第二会場・前編はこちら👈 当時の会場地図を参考に、現在のGoogleマップと照らし合わせて、分かりやすい地図を作ってみました。 そして、今回は新しい試みとして、google mapの機能を使いて、現在の228公園に当時第二会場にあった展示館や設備をマークしてみました! さて、旅を続きましょう! 「東京館」から出て、「大阪館」との間の道を通り、左側に池があり、右側は台湾茶業協会が出品する「台湾茶特設館」です。 台湾茶業協会は、総督府特産課、台北茶商公会、台湾茶共同販売

        🟠オレンジの悪魔 X 台湾国慶日㊗(10/13更新)

        マガジン

        • 1935年 台湾博覧会
          5本

        記事

          【1935年台湾博覧会 #2】毎日お祭り状態の50日間!その魅力とは? 第二会場・前編

          第一会場編はこちら👈 第二会場は、全会場のなかで自分が一番好きな会場です。第一会場よりエンターテインメント性が高いですし、当時の名残りは現在も少しだけ残っています。内容が盛り沢山なので、今回の記事は前編・中編・後編3本に分けて載せます。 第二会場は、現在の台北市の「二二八和平公園」の前身であり、当時の「台北新公園」で開催されました。もちろん博覧会当時に建てられた建物は、今になってほとんど残っていないですが、公園の形はあまり変わっていないので、博覧会の地図を見ながら公園を歩

          【1935年台湾博覧会 #2】毎日お祭り状態の50日間!その魅力とは? 第二会場・前編

          台湾人はなぜ、安倍元首相の他界にこんなに反響があるだろう。一般人が考察してみました。

          7月8日に安倍元首相がお亡くなられた速報が台湾でも流されて、ショックで言葉を失った人が続出でした。その後、民間では、自ら祭壇を設けたり(高雄鳳山紅毛港保安堂、台湾で日本軍艦を祀る唯一のお寺と言われています)、台湾101、中鋼グループ(高雄にある民間企業)のビル壁面には悼むメッセージがともされたり、嘉義にある故宮南院も、安倍元首相が生前にピアノで弾いた曲「花は咲く」に合わせて、白色の光と噴水ショーで哀悼の意を表しています。 高雄のお寺の祭壇 台北101の点灯 中鋼グループ

          台湾人はなぜ、安倍元首相の他界にこんなに反響があるだろう。一般人が考察してみました。

          【1935年台湾博覧会#1】毎日お祭り状態の50日間!その魅力とは? 第一会場編

          1935年、台湾がまだ日本に統治されている頃には、台湾全土を熱狂させる一大イベントがありました。その名は、「始政四十周年記念台湾博覧会」です。 歴史専攻だった大学院時代に、修士論文のテーマを探しているときに、偶然この博覧会のことを知って、すごく興味が湧いてきました。研究論文によりますと、台湾の人口は約531万人に対して、50日間の開催期間で来場者数は延べ2,758,895人でした。しかも在台日本人は28万人だけなので、この来場者数の記録を作ったのは、台湾全土の住民のおかげと

          【1935年台湾博覧会#1】毎日お祭り状態の50日間!その魅力とは? 第一会場編

          【個人的昔話】6月3日は「端午節」!ちまきとドラゴンボートより印象深いアイテムはこれです!

          6月3日は台湾の端午節です。祝日なので、金~日曜日の3連休になります。一般的には、端午節を外国の方に紹介するときに、まずは「ちまき」と「ドラゴンボート」が取り上げられますでしょう。 もちろんちまきはおいしいですし、好きですが、うちには手作りではなく、ずっと市販のものを買って食べるだけなので、ちまきには個人的にあまり特別な思い出がないです。「ドラゴンボート」も、やったこともないですし、現場で観戦する経験もないですので、こちらもあまり印象的ではなかったです。 個人的に、「端

          【個人的昔話】6月3日は「端午節」!ちまきとドラゴンボートより印象深いアイテムはこれです!

          【台湾あるある】「土を食べる」(吃土)はどういう意味?どんなシチュエーションで使う?

          台湾人の日常会話のなか、「土を食べる」(吃土)という言葉をよく使われていて、特に毎年5月の納税確定申告時期には、「もう土を食べるしかない」みたいなフレーズを聴いたら、「わかる~~~」と、思わず共鳴したくなります。はい、もうお分かりだと思いますが、この言葉は「もう食べ物も買えないくらいお金がない」という意味です。 納税したあとやすごくお金をかけて大きな買い物をしたあと、あるいは予想外の出費があったり、収入が不安定になったりするなどなどのシチュエーションに適用します。さらに、

          【台湾あるある】「土を食べる」(吃土)はどういう意味?どんなシチュエーションで使う?

          【個人的昔話】20年後の今でも台湾でカラオケに行ったら絶対歌う10曲をおすすめ!

          先日台湾歌手ワン・シンリン(王心凌/Cindi Wang)が中国のバラエティー番組に出演し、自分の大ブレイク曲「Love You(愛你)」を久々に披露し、中国でも台湾でも話題になっています。2004年にこの曲をリリースされた当初と比べ、今年39歳になる彼女の変わらない可愛さにも驚きましたが、何よりもこの曲にはたくさんの思い出が詰まっていて、多くの方にとっては、まさに青春を代表する曲であります。 実は私も、ちょうど世代でした。J-POPにハマった前に、ずっと台湾歌手の曲ばっか

          【個人的昔話】20年後の今でも台湾でカラオケに行ったら絶対歌う10曲をおすすめ!

          【台湾あるある】5月20日=「愛してる」「告白」の日?

          「520」という数字の並びは、日本の方にとってはあまり意味ないですが、台湾人にとっては、とあるメッセージになります。それが、「愛してる」です。 なぜ「520」=「愛してる」のか? 原因としては、いたってシンプルで、文字を使った語呂合わせです。台湾の言葉で「5」、「2」、「0」の3つの数字の発音は「我」「愛」「你」と似てるだからこそ、「520」が特別な意味を持つ数字になりました。 「520」応用編:「5201314」 1990年代に日本と同様に、「ポケベル」が台湾でブームを

          【台湾あるある】5月20日=「愛してる」「告白」の日?

          【最近台湾のちょっとしたブーム】隔離期間で生まれた曲:「A FU、フォークはどこ?」「私に聞かないで= =」

          最近台湾では、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、自宅療養や隔離する方も急増しています。部屋から出られない退屈な生活から、意外と面白い曲が誕生しました。 それは、今回皆さんにご紹介したい「A FU、フォークはどこ?」(鄧福如 叉子咧)、「私に聞かないで= =」(不要問我= =)の2曲です。 「A FU、フォークはどこ?」(鄧福如 叉子咧)実は、この2曲はとある台湾の有名人夫婦が別々で隔離中に、別々でYouTubeで公開した曲です。 旦那さんのHowHowはYouTub

          【最近台湾のちょっとしたブーム】隔離期間で生まれた曲:「A FU、フォークはどこ?」「私に聞かないで= =」

          【雑談】台湾人なのに、日本語でnoteを書き始める理由は?

          初めまして。台湾女子のひとり言です。 初noteなので、自己紹介も兼ねて、少し雑談してみましょう。 クリエイターページに掲載している内容の通り、私は台湾生まれ、台湾育ちの台湾人です。以前日本で年末年始の時期に郵便局バイトしていたときに、「ハーフでしょう?」って言われたことがありますが、知っている限りに家族メンバーには日本の方はいないです。 (先祖のなかにはいたかもしれませんが、それはもう知る由もないので一旦置いときます。) では、台湾人なのに、なぜ日本語でnoteを書き始

          【雑談】台湾人なのに、日本語でnoteを書き始める理由は?