ひとりゼミ(読む、書く、考える)

大学院生。専門は人類学。日々、歩いては学び、読んでは考え。でも気がつくと「アレ、何して…

ひとりゼミ(読む、書く、考える)

大学院生。専門は人類学。日々、歩いては学び、読んでは考え。でも気がつくと「アレ、何してたのかな…」を繰り返している。そこでnoteでカタチとして知の軌跡をニョキニョキ残すことにしてみました。読む、まとめる、発表する、とりとめもない考えを言語化してみる、ひとりだけのゼミ。

最近の記事

7時間目 ベターな自然

思い描いていた姿との乖離に恥じ入ってしまうのでもなく、かといって環境のせいにして「だってだって」と現状に開き直ってしまうのでもなく。ゆっくりでもやめないことが、時に大事だ。1月25日を最後にしたきり、ずいぶん更新していなかった。できるだけ取り組むしかない。 この記事を書こうとしては実現できずに日がすぎていた。ハードルがあがっていたのかもしれない。そんなに読者もいないし誰も空白には気づかないよ。別に誰もこの一回に点数をつけたりしないよ、とあえて頭で言い聞かせることで再開できた

    • 6時間目 移民が変容させる「存在の物質的な諸条件」(D.パパドプロス『実験的実践』)

      D.パパドプロス『実験的実践』(Experimental Practice)。けど今回でいったんおしまいにしようと思います。理由は飽きたから…というか読んだんだけど、まとめるほどの楽しさがなかった。 あと、なんかこなれた日本語タイトルが欲しかったなと思います。わたしはセンスがないので。エクスペリメンタル・プラクティスそのままの方がよかったかな。 パパドプロスの見る社会運動と物質的空間これまでイントロを時間をかけて読んでみた。細かな点を研ぎ落として思い出すと、近年ヨーロッパ

      • 知ってるだけでだいぶ違う、人類学を勉強する無料のツール

        読書メモ以外の用途もあってよくないかと思って、今日はほんの短く人類学を勉強するのに役立つツールをシェアしたいなと思いました。(もう知っていて「あったり前じゃん」という人もいるのかもしれませんけど。)わたし自身、結構この手の「界隈の常識」について不案内なことも多く、知ってるか知っていないかだけでずいぶん違っただろうなという経験も多かったです。なので思いついたら、できる限り勉強をサポートするツールはシェアしたいと思いました。 今日シェアしたいのはこちらです。Cambridge

        • 5時間目 「100%ノン・フィクションで100%フィクション」を書くこと

          わたしは以前、人類学の専門ではなく自然科学系の先生からこのように言われたことがあります。「もっともよくできたエスノグラフィーはフィクションの書架に配架されてしまうものなんですよね。」エスノグラファーは他者の生活世界に赴き、“彼ら”の視点において世界を理解しようと試み、そして何よりも重要だが、それを「書く」。人びとの生活世界に文字通り肉体を投じて経験を積み重ねるなかで、人の関心、話すこと、一挙手一投足を漏らさずメモ帳にぐちゃぐちゃと文字化していく。一度閉じられたメモ帳を、あとで

          4時間目 「社会なるもの以降の自治」

          前回のひとりゼミでは、一つのコミュニティが継続的に団結し望ましい変化を実現するためには、そのコミュニティが生きている物質的空間を考えようとしていることを勉強した。コミュニティ——何がどのように構成しているのか考える必要がある——が、それ自身をつなぎとめ、活動し、変化を与えることを、意志を土台にして考えない。人間を脱中心化し、種、機械、モノとの関係を枠組みにして考えなくてはならない。わたしたちが「社会」と呼んで排除してきた存在と繋がりを前提にして、コミュニティとその政治を考えな

          4時間目 「社会なるもの以降の自治」

          3時間目 社会変革は意識改革じゃない?

          引き続き、D.パパドプロスの『実験的実践』を読んでみます。 前回はなんと1ページしか進みませんでした!がんばろう! パパドプロスは、この本をある「つながり」を検討してみる試みと位置付ける。彼には、何と何がつながって見えるのだろうか。一方には、限られた変革しか与えられない運動があり、他方には人間なるものや人間の政治が脱中心化したポストヒューマン的状況がある。この両者がつながっているという。 彼はその例として、2011年にイギリスの黒人コミュニティがネオリベラリズムの渦に対

          3時間目 社会変革は意識改革じゃない?

          2時間目 「社会なるもの」以降の政治

          「現実」をめぐる討論と活動と力の波の中で昨年から、グレタ・トゥーンベリさんと彼女の活動、そして彼女から波及した世界中の気候変動ストライキが、日々のニュースで取り上げられている。そうして2020年がはじまった。 私は以前Twitterで誰かのこのようなツイートを目撃した。グレタさんをはじめとする若い世代と、現行の政界や財界の権力者そして一般に彼女たち以上の世代とのあいだで、「現実」は本当に異なっているんだろう、と。 グレタさん、そして世界中のデモに参加する人びとは、ある仕方

          2時間目 「社会なるもの」以降の政治

          1時間目 ひとりゼミのイントロ

          年末の院生「アレ、わたし何してきたんだろう…」去年、というか毎年、大学院生であるわたしはこのようなことを年末に思います——いろいろ読んだり考えたりしたなァ!でもなんだっけ…。流石に何もかも忘れているわけではないのですが、満足に言語化できないんです。情報量が少ない。その年を表現する言葉が少ないので、その年の自分自体が空っぽな感じがしてしまう。 具体的なカタチにして残しておけば、後から自分で自分の足跡をみることができる。イチイチ全部覚えていれば、たくさん何か言えるんだろうけど、

          1時間目 ひとりゼミのイントロ