1時間目 ひとりゼミのイントロ

年末の院生「アレ、わたし何してきたんだろう…」

去年、というか毎年、大学院生であるわたしはこのようなことを年末に思います——いろいろ読んだり考えたりしたなァ!でもなんだっけ…。流石に何もかも忘れているわけではないのですが、満足に言語化できないんです。情報量が少ない。その年を表現する言葉が少ないので、その年の自分自体が空っぽな感じがしてしまう。

具体的なカタチにして残しておけば、後から自分で自分の足跡をみることができる。イチイチ全部覚えていれば、たくさん何か言えるんだろうけど、そんな記憶力はもってない。そのわたしが、後から自分の活動を振り返るにはどうしたらいいんだろうか。後から、自分の積み重ねを眺めたい。ならば、眺める対象をカタチにすれば良い。思い返すと、「何やってたんだろう」状態にあるわたしは、じっと虚空を見つめていました。眺める対象がなく、何をしたのかわからない。

ひとりゼミで思考にカタチを与える

この「ひとりゼミ」は、自分が後から辿り直すための、思考の足跡を残す場です。後から自分で読んで、ディテールをもう一度辿れるようにするための足跡。地図づくりのようなイメージが湧いてきます。後から「いろいろなところに行ったな」ではなくて、どこに、どのように歩みを進んで行ったのか、どんなところで行き詰まったのか、どうやってそこから引き返したのか、何を見て、どう思ったか、そんなイメージ。

スバラシイ考えを披露せず、“ニョキニョキ”でいい

ゼミは「正解」をバチっと示すところではないです。「ひとりゼミ」もそういう場所にしたい。わたしはやっぱりどこかに「頭いい!」って思われたいみたいなコッスい考えがありました、あります。「それってェ要するに〇〇っていうことだよね」みたいなのに憧れるわけです。すっきりときれいにまとまった言語を披露したい!そういう願望があります。でもゼミは、むしろ、ああでもこうでもない、結局なんなのみたいなことを積極的にする場所です。そして楽しいのは実はこういうプロセスです。

「ひとりゼミ」は“ニョキニョキ”と、考えを伸ばすようなところです。きれいではない思考の軌道、どこから始まってどこで終わるとか、そういうのはないような思考。伸びてると思ったら、どこかで急にぷつっと終わっていたり、別々のところでのびたものが、なんか繋がりはじめていたりするような。

今こうやって、ひとりゼミをどんなところにしたいのかを書いている途中にも、“ニョキニョキ”しているわけです。

具体的には、読んで、それを自分の言葉にする

アイデアが首尾一貫していたら、それを「声を大にして」主張できると思います。みんなに聞いてもらうように。一方で、ゼミでは、小さな部屋で輪になっているせいぜい10人たらずに向かって聞こえる声でいい。だからここでは「声を大に」しなくていい。まだあんまりおっきい声では言えないことを、それでもなんとか言葉にして共有してみる。少しモジモジしながら(文字文字する?)。

このくらいの声量で、ここでは基本的に読んだものを自分の言葉に変えていくことに挑戦したいです。

プロフィールにも書きましたが、わたしは人類学を専攻する、いわゆる人文社会科学系の院生です。テーマは人類学の関係が中心になると思います。この分野のゼミでは、テクストを読んできて、誰か発表の当番さんがいて、他のメンバーはその発表を受けつつ、みんなで意見を交換し合うのが一般的なスタイルでしょう。ここではそれをひとりでやるから、ひとりゼミ。

あるとき、ホンモノのゼミで、「ここはちゃんと読めてるかどうかわからないんですけど…」と前置きしたりする発表の当番がいました。そしてメンバーも、「間違ってたらすいません、でも」みたいな前置きをしました。当然わたしも「えっと、なんでしょうかね、関係あるかわかんないんですけど」みたいなことを言います。自分の口から、せいぜい小さな部屋のなかに放たれるだけの言葉にさえ、自信が持てない。喋ってみたら、輪になったテーブルの真ん中ゾーンに自分の発言が浮遊して、みんな沈黙しているんですけどみたいな経験は、みなさんあるかと思います。自分のことは棚に上げながら、こういう前置きがなんだか鬱陶しいと思う時がありました。でもむしろ、この感じが、学ぶ上では大事な紆余曲折なんだなと、今は思うのです。

これを、note上で1人でやるのがひとりゼミです。だから、難しい文献を明快サッパリ説明してくれるブログや、複雑な各国の政治経済を整理して紹介してくれるサイトとは全然違います(こういうブログ、結構院生でもやってたりします。立派だと思います)。ここでは時間をかけたわりにトンチンカンだ、なんてことの方が多いでしょう。それでも、後になって、いつ、何を読んで、どういう風に考えたのか、それを拙くても、小さい声でも、言葉にして書き残したい。

おわりの一言

1時間目(ゼミなので、こう呼びます)の投稿では、ひとりゼミをnoteでやってみるに至ったとても個人的な理由を書きました。いつも年末になると、自分のこれまでを具体的に見ることができない。ぼんやりとした、「いろんなことをやった」という感じだけがある。これからはそうならないために、後から眺めるための自分の思考の足跡を具体的なカタチにして残したい。それがきっかけでした。

「ゼミ」という名の通り、何かを読んで、それを自分の言葉でまとめて言語化し発表し議論することが、活動の中心になります。でもその言葉は、小さな部屋のメンバーに届く程度の声量で、明快な筋道をもってはいない。でもそれでよし、とします。このnote「ひとりゼミ」は、完成されたきれいなアイデアを披露するのではなく、不格好でも“ニョキニョキ”と伸び続ける考えを、ちょっとずつ共有する場所にしたいです。


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