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亡くなった祖父の本棚にあった「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」

池上彰の宗教がわかれば世界が見える」を読みました。

先日祖父が亡くなりました。記憶にある中では、初めての親しい人の死です。
祖父は私が生まれたときにはすでに病気で歩けなくなっており、中学生ごろから認知症も始まっていました。そのため、死が近いところにあることも分かっていたし、亡くなったと聞いたときも、ずっと一人で介護していた祖母の心境ばかり考えるほどでした。

しかし、実際に祖父の亡骸と対面し、冷たくなった体に触れると、会う度に「大きくなったな」と握手してきた祖父の強い握力とか、祖父と同じ大学に入学したことを伝えるとすごく喜んでくれたな、とか、何度も同じ思い出話を求められて、それ前も言ったよと面倒くさがってしまったけど、何回でも話してあげればよかったなとか、いろんな気持ちが溢れて、泣いてしまいました。
覚悟していたはずの死を、まったく受け入れることが出来ませんでした。

祖父は昔から読書家で、家に大きな書斎がありました。すべて処分すると聞いて、慌てていくつかの本を譲ってもらった中の一冊がこの本です。
元々人の心の動きに興味があり、オタク研究や宗教について大学で学んでいたのも選んだ理由ですが、一番は私の中の祖父と宗教がまったく結びつかなかったからです。
確かに読書家で好奇心旺盛な人でしたが、頑固で保守的な考えを持つ人でもありました。常に論理的で、曲がったことは大嫌いでした。嫌いな人が新聞に出ていると赤鉛筆で大きな×をつけたり、酷い偏見を声高に主張する一面もありました。宗教は自己にも矛盾を内包する複雑なものです。
しかし、なぜ祖父は宗教に興味を持ったのか、その答えは本を開いて直ぐに示されていました。

「死の意味を真剣に考えるとき、宗教に関心を持つのは自然なこと」「誰もが、自分のこの生と死を納得したい」

考えれば祖父は自分の死と20年以上向き合っていたのでした。

「葬式は、いらない」という本が話題になったことを起点として書かれた本書は、様々な宗教の死の捉え方について中心に書かれていましたが、宗教を通して見つめる死は、生を見つめることでもあると学びました。
私は特別に信仰しているものはありませんが、個人的には、理屈が通るもの、言語化できるものしか信じられない人生は貧しいと感じます。

個人主義や無縁社会と呼ばれる現代で、宗教がどのような役割を果たしているのか大変参考になる本でした。

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