自分はなぜ「ものを書く」のか Vol.1

知り合いが芥川賞を取った。

「知り合い」と称したのは、彼と僕は、単に部活の先輩後輩という関係でしかなかったからだ。
実際、テレビに彼が映った時も最初は気付かなかった(ペンネームだったというのもあるが)。

僕からしてもこんな感じなので、向こうは僕のことを覚えていないか、覚えていても「そんな奴いたっけなあ」くらいものだろう。

ともあれ、ネットニュースに載っている彼の写真をあらためて見ると、懐かしさを覚えた。
その表情は、いつかの放課後に見たものと同じだったのだ。

しかし「いまや遠い人となってしまったけれど、たしかに僕と彼は同じ夕暮れの中にいた。それを思うと胸が熱くなる……」などと書くのは、いささか優等生すぎる物言いかもしれない。

僕は単に懐かしくなっただけだし、その偉業によって人生を左右されるほどの影響を受けたわけでもない。顔を知っている人が凄いことを成し遂げた、というだけのことだ。

広い宇宙。僕という星から何光年も離れた先で起こった、超新星爆発。
言うなればそんなところ。

まあ、眩しすぎて目が潰れているのかもしれないけど……。

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うわあーーーーーっ!!!

さて、話題をその僕自身のことに移そう。

先日、ショートショートのコンテストに応募した。

「空想競技2020」と題されたコンテストで、その名の通り、想像上の競技を題材とした作品を募るものだ。

企画したのは田丸雅智さん。
現代ショートショートの旗手として目覚ましいご活躍をされ、その作品は中学生の国語の教科書に掲載されるほどの作家先生である。
僕は、その田丸さんが立ち上げたショートショートガーデン(SSG)という小説投稿サイトの中で、件のコンテストが開催されるとの情報を目にしたのだ。

審査員は田丸さんをはじめ、箱根駅伝で「三代目山の神」として一躍有名になった神野大地さんや、esportsの全国チャンピオン経験者の甲山翔也さん、ロンドンオリンピック新体操日本代表選手のサイード横田仁奈さんなど「その道を極めた」方々。

募集要項を見た僕は、それを面白がった。
賞を取れるかはともかく、応募さえすれば自分の作品が第一線で活躍する人たちの目に触れる。

物書きになりたいなあ〜(^◇^)ピヨピヨ なんて数年間も虚ろに考えながら、最近やっと書き始めた僕。
学生時代、持久走でずっとブービー賞を取り続けてきた僕。
自分の「非ストイックさ」は痛感するところだ。

だが、作品の内容で判断されるコンテストではそんなことは関係ない。
とにもかくにも、アイデア勝負である。
コンテストのウェブサイトから「応募」のボタンを押してしまえば、そこはもう決勝戦の地。天王山。全員がスーパーシード。

ああ、インターネット万歳。
僕は応募することにした。

ショートショートは「超短編小説」とも称される通り、かなり短い小説だ。
とはいえ、一般的には原稿用紙5枚~20枚分(2,000~8,000文字)のものが多いだろう。

しかし、このコンテストの文字数制限は400字だった。

400字と言えば、原稿用紙1枚分。
これがどうにも難しかった。
書けども書けども足が出る。
苦心した僕は、とりあえず500~600文字にまとめて、後から文章を削っていくことにした。

日頃からくだらないことばかりを考えているおかげか、アイデアはポンポンと出た。
本当に取るに足らないアイデアばかりなので割愛するが、公式サイトからいくつか作例を見た上で、僕はある一編を書き上げた。

『落涙選手権』という話で、涙の量を競うという(空想)競技に女子高生が挑むというストーリーだ。

まあ、ストーリーと言っても400字までしか書けないので、場面はいきなり全国大会決勝。
しかも試合終盤で劣勢。
分かりやすくドラマチックな場面である。

しかしその分かりやすさが功を奏したのか――

図sssssd

なんと、銀メダル(銀賞)を頂くことができた。

僥倖である。
先に述べたような錚々(そうそう)たる方々が「この作品面白くない?」「銀メダルこれにしちゃいましょ!」なんて風にして選んでくれたのだろう(妄想)
そう思うと、僕の中にある自尊心の器に特級酒がとぷとぷと注がれていくようだった。
(現実の祝杯はサッポロ黒ラベル350㎖缶)

しかし、それと同時に。
「金メダル(金賞)じゃないのか……」と残念がる自分がいたのだ。

さも受賞は当然という振る舞いを見せるもう一人の自分に驚いた僕は、彼に「欲張りすぎなんじゃないの?」と言ってみた。
すると彼は言うのだ。「最初から銀メダルを狙っていたのか?」と。

僕は閉口した。
そりゃあ、そんなわけない。
ダメだった時に必要以上に傷付かないよう、応募ボタンを押しながら「書くこと自体に意味があるさ〜」なんて暗い顔で呟いていた僕は、自分の心のうちに棲む彼が「やるからにはテッペン取りたいね」と口角を上げたのを、見なかったことにしていたのだ。

彼に言われて、僕は自分が守りに入っていたことに気付いた。
高く評価してもらったことを嬉しく思うとともに、さらに上を目指して悔しがる。
それは両立できるはずなのだ。

僕は、彼を「向上心」と呼ぶことにして、これからも頑張ろうと心を新たにしたのであった。

とはいえ「評価されるもの」と「自分が書きたいもの」はズレるときがある。
書く方も読む方も人間だし、それは自然なことだ。

実は、僕はもう一つショートショートを書いて応募していた。
と言うのも、このコンテストでは三つまで作品を応募できるのだ。

分厚いゴムでできた「耐雷スーツ」を着込み、雷が降りしきる草原を走り抜けてフラッグを一番早く取った者が勝ちという(空想)競技だ。

二作品を応募して、賞が取れそうだなと(ちょっと)思ったのは『落涙選手権』だが、自分がより好きな方はどちらかと問われれば、この『ライトニング・フラッグ』に軍配が上がる。

この話には桑原という日本人選手が出てきて、実況者やテレビの前の観客が彼の名を叫んで応援するところで終わるのだが、書き終えてから、僕は少し危惧していた。

落雷を避けるための呪文。雷鳴のするときに「くわばら、くわばら」と唱えると、雷除けになるとされる俗信。

万人がこの「くわばらくわばら」を知っているのか、怪しいということだ。
知っていてもあまり馴染みがないだろうし、結局はただの駄洒落なのでしょうもない。
実際、この作品に頂戴したコメントも「くわばらくわばら」については一切触れられていない。

書きたいから書いた。それだけである。
「女子高生」「涙」「決勝戦」など、ちょっと狙った感じの『落涙選手権』に比べれば、コンテストに出すようなシロモノでもないのかもしれない。
でもなんだか、自分としては気に入っているのだ。

ぼおっと、考える。
きっと自分には「評価されるものを書く」という軸と「自分が好きなものを書く」という軸がある。

評価されることで、嬉しい。自分が好きなものを書けて、嬉しい。
どちらも自分が「ものを書く」ということの理由であり、大事なことなんだと思う。
もちろん、自分が大好きなものを書いて、みんなに大好きと言ってもらえれば最高だ。

その軸で分類するなら、僕がいま書いているこのnoteの記事は「自分が好きなものを書く」に当てはまるだろう。
ここまで(3,000文字も!)読んでくれた読者の方には申し訳ないが、結局のところ、僕は好き勝手に書いているだけなのだ。
はっはっは。付き合わせて悪いね。

さて、本当はもうちょっと小難しいことを書こうと思ったんだけど、今回はこの辺でパソコンを閉じることにします。
僕は昔は自己表現が苦手な子どもで……なんて書きかねないから。
終わらない自分探しの旅に出かねないから。

書くのが好き。
読んでもらえると嬉しい。
それは間違いのない気持ちだと思いますね。うん。

自分、他人に係わらず、心情を難しく考えすぎて深い迷宮に入るのは僕の得意技なので、たまには力を抜いて。

では、そのうち「Vol.2」で。

自己投資します……!なんて書くと嘘っぽいので、正直に言うと好きなだけアポロチョコを買います!!食べさせてください!!