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顕在意識・潜在意識・無意識の見解をまとめてみた。

〇顕在意識 

自分が意識してやっていると自覚するモノ・コトのことです。
よく表層の意識なんて言われてもいます。

例えば、
「よし、今日から筋トレを始めよう!」と自分で決めた感があること、
「計画通りにTODOをこなしている」と自分が理解している感があること、
などは、顕在意識と言えます。

〇潜在意識 

自分が無自覚にやってしまうこと、やっていることです。
よく言われるのは、呼吸などの生命維持・条件反射・習慣などがあります。

で、ここからお話しすることは私たちが実体験を通して感じている部分ですので、学術的な裏付けがあるわけではないのですが、、、
(既にあったら教えてください)
潜在意識に共通するのは”気持ち”なんですね。
どういうことでしょうか?

ちなみに気持ち自体は、
EQ(心の知能指数)として、学術的にも提唱されている考え方です。

心の知能指数(こころのちのうしすう、英: Emotional Intelligence Quotient、EQ)は、心の知能 (英: Emotional Intelligence、EI) を測定する指標である。心の知能とは、自己や他者の感情を知覚し、また自分の感情をコントロールする知能を指す。
-出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』-

で、その気持ちが潜在意識の何に共通しているか?が、私たちの実体験を通して感じている部分ですが、読めば確かに・・・となるはず?
さぁ、それではいきましょう。

生命維持に気持ちが関係してんの?と思う方もいるでしょう。
確かに、潜在意識は常日頃は意識していない部分ですので、一見、気持ちとは関係がなさそうです。

では、生命維持を意識する瞬間と言うのは、どんな状況があるでしょうか?
車に轢かれそうになる、ホラー映画を観て心臓の音を感じる、寒くて凍える、深呼吸をする、など出せばキリがないですね。

で、これらにどう気持ちが関係しているかと言うと、
車に轢かれそうになる瞬間、
人は危ないっ!と思う前に、実は驚き・怖い・焦るっといった気持ちを感じています。
だから、轢かれそうになった後には、バクバクとした心臓の音を感じながらも、気持ちはホッとしているのです。
条件反射も似たようなものです。

習慣ではどうでしょうか?
生命維持や条件反射については上述の通りなので、日常生活に関わることでいきましょう。

日常生活に関わる習慣と言うとどんなことがあるでしょうか?
歯磨き・服を着替える・ケトルに水を入れボタンを押す・スマホに通知が来るとスマホを触っている・自転車をこぐ・寝る時に布団をかける、などまぁこちらも出せばキリがありません。

で、これまた習慣にどう気持ちが関係しているか?ですね。
ケトルに水を入れボタンを押す時、
ケトルを手に取る前、水を入れるまで、ボタンを押すまで、とそれぞれに実は気持ちがあります。しかし、習慣化されているので、その気持ちを自覚することはほとんどありません。

こうした無自覚に行われている営みは、過去の人や環境による影響を受けています。この無自覚に行っている営みを自覚することは、メタ認知、マインドフルネスなど呼び方は様々ありますが共通していると思います。

無自覚を自覚する方法は、瞑想を始め様々ありますが、
ここまで見てきた様に潜在意識に共通していたのは”気持ち”でした。

そうして、気持ちを感じて潜在意識に触れると、どこにたどり着くのでしょうか?
そう、無意識です。

〇無意識

それこそ、Googleで「無意識」と調べれば、様々な見解が出てきますね。

私たちは、無意識=SQ=目的だと考えています。
SQとは、Social Intelligence Quotient またはSpiritual Quotientの略で、社会性の知能指数であったり、生き方の知能指数であったり、魂の知能指数であったりと和訳されます。(スピリチュアルと言うと、日本では非科学的・エセなどといったイメージも未だ強くありますが、SQとは、いわゆる無意識だと私たちは考えています。)

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SQについても、様々な解釈がありますが、
私たちは、Spiritual Quotient(精神・魂の知能指数)と解釈しています。

つまるところ何か?
自分の目的を感じ取るチカラ、です。

日頃、無自覚な事が多いですが、
私たちは、
必ず何か目的があって、気持ちが湧き、思考し、行動しています。

その目的というのは、行動→思考→気持ちという風に紐解いていくことができるのですが、ここで話すと長くなるので割愛します。

この目的通りに物事が実現すると人は満足感を得ますが、一方で目的とは何かが違うと不満足感を感じます。
と、言うと、不満足感を感じること=悪としがちですが、絶えず自分に挑戦する機会を与えるという点を考慮すると、不満足=悪というのは、ちょっと違和感を感じますね。

目的と言った時に起こりがちなのが、
「僕の目的は、○○高校に合格すること!」、「年収○○万円になること」と言った目に見えて判断できることを据えてしまうことです。

これだと、
「○○高校に受かったはずなのに・・・」、「年収○○万円は達成したのに・・・」と こんなはずじゃなかった となりがちです。

では、目的を設定していて一見SQがある様に思えるのに、いったい何が足りなかったのでしょうか?
それは、
「受験勉強や年収○○万円を実現した未来にまつわる心象です」

例えば、誇らしさを感じるという心象が目的だったら、受験勉強への合格というのは手段に過ぎないわけです。安堵感を感じるという心象が目的だったら、年収○○万円の達成もまた手段に過ぎないわけです。

誇らしさを感じることが目的なら、その手段は受験勉強でなくてもいいはずです。では、なぜ受験勉強という手段を大切にしたいのか?
そこには、親や先生にも褒められて誇らしさを感じたいという条件が加わっているからかもしれません。

安堵感を感じることが目的なら、その手段は年収○○万円でなくてもいいはずです。年収○○万円にこだわりを持つのはなぜでしょうか?
過去にお金がなく惨めな想いをしてきたから、安堵の象徴として年収○○万円があるだけなのかもしれません。

親や先生に褒められることが条件であるなら、ただ闇雲に受験勉強して合格しても褒められるとは限りません。
惨めな想いをしないことが条件であるなら、年収が増えただけでは安堵とは限りません。むしろ収入が増えた分支出も増え、惨めさが増すかもしれません。

そうだと分かったなら、
親や先生に褒められる行動=相手が望む行動をすればいい
惨めな想いをしない行動=いまこの瞬間に安堵感を感じればいい

だけど、できない。
そこには、潜在意識下の思い込み・固定観念があるためです。
この思い込みや固定観念に気付き、本来の目的が明確になるには、上質な問いかけが欠かせません。その問いかけをする対話法を、私たちは”思考セッション”と言っていますが、それはまた別の機会に。

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