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【短編】てげみ


「てげ」とは鹿児島の方言で「適当」という意味であります。

「てげでよか」

その先生はいつもそんなことをおっしゃっていました。

先生の髪の毛ははどい癖毛で、それが横に広がってまるで雲のように見えました。
しかし、白髪と黒髪が混じっておられましたので雲は雲でも雨雲でありました。

世は平成にもかかわらず、授業中に間違えると生徒をその場に立たせる古い先生でした。「はい、たとぉ」とリズミカルに生徒を立たせすぎたあまり、クラスメイトの半数以上が起立した状態で授業を受けていることもありました。

国語の授業で教科書の音読をする際には河原に落ちているような拳ぐらいの石をもち、句読点の度に机をコンコンと二回叩くのです。生徒たちはその音が鳴ると隣の人が次の箇所を読むのだとわかっておりました。

先生は眼鏡をかけておりました。眼鏡の度が強いせいか、もしくは目の下のたるんだ皮膚のせいか目が異様に大きく見え、蛙のように見えておりました。

いつもクシャクシャの麻でできた真っ白のシャツを着ておりました。首には手拭いを垂らして担任をしておりました。その姿はまるで戦後の知識人が復興を手伝うために幼少ぶりの農作業に勤しんでいるようでした。

先生は私が小学5年生の時の担任でありました。その年に私の学校に赴任してきたからか、先生は他の先生と仲が良いようには見えませんでした。いつも一人でどこからともなく現れて教室の机で何かしらをしておられました。しかし、先生から寂しげな雰囲気を感じたことはただの一度もございませんでした。

私は中学一年の終わりに小学校六年間のそれぞれの担任の先生に年賀状を送りました。先生方は親切にも私にお返事をくださいました。自身の家族や可愛らしい干支のイラストがそこには載っており楽しく拝見していました。

年賀状の中にはあの先生からのものもございました。先生は先生をお辞めになったようでした。おそらく定年されたのでしょう。先生の年賀状には何の絵も写真もございませんでした。そこにはただ「てげに頑張りましょ」と直筆で書かれておりました。

私はその後も、高校を卒業するまで先生方に年賀状を毎年送り続けました。あの先生は毎年必ず返事をくださいました。「大きくなりましたね、てげを忘れずに」「もう高校生ですか、早いですね。てげに生きればよかよ」詳しい文言は忘れてしまいましたが、毎年そのようなことが書かれておりました。

私は生真面目で少しおとなしく、いわゆる目立たない生徒でした。他の人と違うことはあまりありませんでしたが、ただ一つ少しだけ無理をしてしまう節がありました。子供であるにもかかわらず甘えるのが下手でした。泣くことを常に我慢しておりました。代わりに人の顔色を伺うことがめっぽう上手でありました。そしたら大人っぽいと褒めていただけるからです。意図してるものではございませんでしたが、そういう性質を持っておりました。

先生はそのことを知っていたのかもしれません。先生は私をそのようには褒めることはしませんでした。ただ、「てげでよか」とそのようにだけ声をかけてくださいました。

その先生のことは当時もその後も同級生の間で話題に上がることはありませんでした。皆は忘れているのだと思います。

◇◇◇

拝啓

先生。
お元気でしょうか。

私は今、道草を食っております。油を売っております。無駄な遠回りをして目的地に行くことがあります。急に旅行に行くことがあります。何かを嫌だと断ることがあります。独りを楽しんでいる節があります。眠たいとわかっていても無理をして映画を鑑賞することがあります。人の前で泣くことがあります。

当時子供になりきれなかった私は大人になりきれない子供になってしまったようであります。

このお手紙は何の知らせでもございませんが、春風の到来記念とでも言わせてください。

またてげな日にお手紙お送りします。

敬具

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