すっとこどっこいももたろうさん

パートナー(男)自分(女) 子ども2人 仕事と育児、嫌いな家事の合間に。 世界を1ミリ…

すっとこどっこいももたろうさん

パートナー(男)自分(女) 子ども2人 仕事と育児、嫌いな家事の合間に。 世界を1ミリでも暮らしやすくしたいと願いながら今日も夕ご飯を作ります。

最近の記事

「他人」を活用してみる

小児科の待合室。 2月の小児科はかなり混んでいる。 前日に時間帯予約をしたが、予約があっても30分程度待つ可能性を受付で知らされた。 診察室から嫌がって泣いている子の声と宥めて励ます大人の声が聞こえる。 体調不良な子どもたちがスムーズに診察させてくれないのはわかる。 待合室は広く、それぞれの親子が少しづつ離れながら座っている。 親に抱っこされたまま眠っている子や、つらさからぐずっている子、マスクを付けてだるそうに親に寄りかかって座っている子もいた。 私の横に座った子は

    • 通りすがる、通り過ぎる、点を結ぶ。

      ひとりごと、ひとりごと。 ぽつぽつ、ひとりごと。 子どもの側に、本気でで向き合ってくれる人がひとりも居ないなら、人数がどんなに居ようと、たぶんそれは「不在」だ。 おおげさでなく「命」の危機だと思う。 まっすぐに舗装された道の先に数人の人と子どもの姿がぼんやり視界にある。家族かな?何も気に留めることなく通りすがりの人として私はすれ違う。 近づくにつれて様々な情報が飛び込んでくる。 こういうとき、どうしても気になってそこで何が起きているのか意識が向かってしまう。詳細を知

      • 風呂場で泣いた話

        保育園児の次男とお風呂に入る。 次男「お母さんはのいいところは、いつもぼくを信じてくれてるところ。たまに怒ってるときもあるけど、抱っこしてほしいときに、いつも抱っこしてくれるのも好き。」 うれしくて泣く。 母さん泣くよ。 次男の口から「信じる」というワードが出てきて気づく。 「信じる」と直接的に子どもたちに言ったことがない。 だから。 余計に泣いた。 信じるとか、愛しているとか、守るとか。 それらが具体的に何を指すのか?表現し難い言葉たち。 伝わっているという安

        • あの子のこと。

          そうそう、小児病棟で暮らしていた時期のことを書こうと思う。 大部屋に6人の子のベッドがあった。 私は真ん中で、入り口からすぐのベッドの子たちが何度も変わったのを覚えている。 何歳から何歳がその部屋にいたのか? そこはよく覚えていないけれど、私はかなり年下のグループだった。 父も母も長期入院だった私を気にかけて、当時好きだったうさぎのぬいぐるみを何個も持たせてくれた。まくらのまわりをぬいぐるみがぐるりと取り囲んでいた。 入院してすぐに、となりのベッドの子と仲良くなった。

          「そんなのズルい」と言われた話。

          中学生の頃。 どうしても「美術の学校」に行きたかった私。正確には小学1年生からずっとそう思っていた。 中学の3年間の美術の成績がオール5でないと推薦が貰えないと聞き、必死だった。 なぜなら、他の教科がどうにもならない成績の低さだったし、他にも美術が得意な生徒はいた。 そこで、出されてもいない課題を勝手に先生に提出するという秘策をひねり出す。自宅でせっせと作った謎の作品やら、風景画、紙粘土を石膏に見立てた胸像。自分の中で「すごい!と言われるはずな作品」たち。 評価に加点し

          「そんなのズルい」と言われた話。

          ベビーカーの横で泣いていた女性のはなし。

          混雑する山手線。 あまり電車を使わないけれど、山手線に乗るとあらゆる思い出と紐付いて、つい回想してしまう。 そうだ。 暑い夏の日だ。 いつかの代々木駅。 熱風を感じながらホームから階段を降りるとき、ちょうど階段の最後の段を降りたばかりと思われるベビーカーが目に入る。 横に立って居る女性と、ベビーカーを挟んで対面して話しかける男性。 海外にルーツがあると見てわかるその男性は、身振り手振りで懸命に女性に話しているようだった。 男性は額に汗をかいている。 華奢な女性は

          ベビーカーの横で泣いていた女性のはなし。

          必要を満たすのは親じゃなくてもいい。

          昭和58年〜59年頃。 たぶん2歳〜3歳弱の頃の私の記憶。(私は記憶力が良い方だけど、母から聞いた話が自分の体験目線で定着している可能性もある) 母は、産まれたばかりの双子の育児(弟と妹)に悪戦苦闘していたようで、我が家から私のぐずる声や母の大声が聞こえると隣に住むしおださん(仮名)は意気揚々とやってきた。 日中、玄関のドアに鍵はかかっておらず、「ほら〜おばちゃんち行くよ〜あそびに行こう〜」とやってきて、母に何時には帰ってくるからとか、夕飯も食べさせちゃっていい?とか手

          必要を満たすのは親じゃなくてもいい。

          両親が失ったもの、私が得たもの。

          ※たぶん、あとで後半を書き直すつもり。 子どもの頃の記憶として、宗教による実害は無かったのか? はて?回想しながら思い起こす。 宗教によって、明らかに両親の仲は悪くなっていた。 おそらく私が4歳頃に入信。 弟と妹は2歳〜3歳の計算になる。 強烈に覚えているのは・・・ 畳にしゃがんで父親を見上げている私。 父親は小柄な人だったが、恐ろしく大柄で赤くまだらな皮膚をした男に見えた。まだ、おしゃべりも拙い弟を天井くらいの高さに掲げて、畳に投げつける瞬間をみた。 私は、泣

          両親が失ったもの、私が得たもの。

          新興宗教の家庭で育った子どもが思うこと。

          私が幼児期に大病をして、母はすがるような思いであらゆる宗教の門を叩いて回っていた。あと3日程度で我が子の命があぶないとなれば、自分が親になってみると、そうなる気持ちもわかる気がする。 教会や山の奥の神社・・・あちこち出向いて、結局は1箇所に落ち着いた。私自身は特に何かを強制されたこともなくて、ゆるーく在籍しているだけな感じ。 定期的な集まりに行くとお菓子を貰えるし、いろんな子と遊んで過ごせていた。 面白かったのは、大人の矛盾が垣間見えるとき。 母曰く、その宗教の人たち

          新興宗教の家庭で育った子どもが思うこと。

          世界一褒めてくれる人が居なくなった世界で。

          さっきまで寝てたけど起きた。 強烈に夢を見すぎる。 夢メモ 気がつくと、死んだお父さんがいつものように手を後ろに組んで満足そうに笑ってた。 「これで合ってるかな?」って聞いたら「大正解!!!ぜんぶ合ってる!!!だいじょうぶ!」「あなたは天才です!」って、大きな拍手をしてくれた。 なんだろうあれは。 羊水?羊水のなかみたいな(記憶ないけど)感覚だった。あれ?お父さんだけど。 ま、いいか。 そういや、家族でゲームしたときも、小学校での提出物を見せたときも、「世界一だ!

          世界一褒めてくれる人が居なくなった世界で。