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あの子のこと。

そうそう、小児病棟で暮らしていた時期のことを書こうと思う。

大部屋に6人の子のベッドがあった。
私は真ん中で、入り口からすぐのベッドの子たちが何度も変わったのを覚えている。

何歳から何歳がその部屋にいたのか?
そこはよく覚えていないけれど、私はかなり年下のグループだった。

父も母も長期入院だった私を気にかけて、当時好きだったうさぎのぬいぐるみを何個も持たせてくれた。まくらのまわりをぬいぐるみがぐるりと取り囲んでいた。

入院してすぐに、となりのベッドの子と仲良くなった。青白い顔で目の大きな髪の毛のない女の子。とてもおしゃべりで同じ画用紙に互いに絵を描いたりして遊んだ。絵しりとりとか。ファッションデザイナーの人が描くみたいなおしゃれでかっこいい感じの女性の絵とか。

たくさんのうさぎのぬいぐるみの存在より、その子と遊ぶ時間で、寂しさが紛れていた。私より長く入院していて、私よりたくさんの検査をしてる。快活でよく笑う子。

そんなふうに過ごして、ある朝、自分のベッドを囲むカーテンを開けると、となりのベッドにいた女の子の姿はなかった。

最初から誰もいなかったように整えられたベッドまわり。

あぁ、たぶん。
そういうことか。
もう、居ないんだ。
この世界に居ない。

看護師さんたちも特に何も言わなかった。

ふっくらした男の子が退院するときは、その子のお父さんとお母さんも部屋に来て「仲良くしてくれてありがとうね」って言ってくれて、バイバイしたから。

部屋が変わったとか、退院したとか。
そこに姿がないのではなくて、もうどこにもいないということ。

つらいとか、悲しいとか、そんな感覚もなかった。

今日の続きは、たいてい明日できる。
でも、明日が来ない子もいるんだ。

あとから、今日が最後でした。

と、唐突に突きつけられる。
それは、恐怖でしかなかった。

看護師さんたちが淡々と仕事をこなすのは、意図していたわけではないだろうし、泣きながら仕事をするわけにもいかなかったんだと今はわかる。

そのことに触れない大人の姿に、子どもながらに聞いてはいけないことなのだろうと理解した。

私の画用紙には、その子が描いた絵があるのに、他にその子を示す痕跡がどこにもない。

その無色透明の感情を、今もなんと呼ぶのかもわからない。

自分だけ別の世界から見ているような、見渡す限りのものが偽物みたいに感じる感覚。不気味で仕方なかった。

ただ、あの病室で過ごした期間、わたしたちは友だちだった。


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