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すごいけどすごくない。ただ、最高だ。

執筆日:10月22日


昨日、Twitterでスペースを開いた。



「フラれた」と題して開催したけど、女の子に告白してフラれた訳では無く、竜真会でメンバー電話の招集をしたけど誰からも相手にされずTwitterに逃げてきたという意味だ。



そんな悲しいお猿の相手をしてくれたのがすとろんぐさん。


昔から相互で認知はしていたけど、絡み始めたのは最近で、昨日初めて声を聞いた。


いい声だし、話しやすい人だ。これからも絡んで頂きたい!


そんな彼にこう言われた。


「note毎日更新すごいですよね」


ここまでなら「ありがとうございます」と返せばいいのだけど、彼は続けて、


僕なんてたまに書くくらいで続かないですよ」


毎日投稿って、目に見えてすごいことしてる感じが出せる一番簡単な方法なのよね。


そんな簡単なことでも続けてるから人は僕を褒めてくれる。


とても嬉しいことだ。


だけど自分を卑下してまで僕のことを褒める必要は無い。


たしかに僕はすごいよ。


しかし日数で言うと50日。投稿数でも280だ。


昨日紹介した人は140日続けてる。noteのバッジも365日まであるし、それを持ってる人だっている。


投稿数だって1000積み上げてからがスタートの世界。


何が言いたいかというと、僕程度を「すごい」と言うために自分を卑下しては、あなたの行く末は高が知れているなってこと。


僕よりすごい人はごまんといる。


もちろんそのすごい人達と渡り合えるような実力を身につけるべく、日々文章を書いている。


だけど本命は自分の世界を確立させること。


僕で言えば、豊かで幸せに生きる表現者を作ること。


これを達成するために競争相手を作って実力向上を図ることも大切だけど、これは手段に過ぎない。


日数、記事数、内容、ファン化。


人はいろんな競争を起こし、「すごい」「すごくない」の優劣を争う。


だけど時代的にそれはもう古い気がする。


一人一人が最高なのだ。


大将軍の傘下であるより、小山の大将であれ。


現代は戦国時代みたい。


室町幕府という大企業、政府の意向は無視され始め、下克上の時代。


だけど、外国から鉄砲が入って来て戦い方が変わったように、Googleみたいな巨大IT企業が生活やビジネスの仕方を変えている。


もちろん「すごい」名門は存在する。


だけど尾張の小大名が天下に名乗りを上げたように、百姓が天下を取ったように、「すごくない」が「最高」になった歴史がある。


誰が信長になるのかな。誰が秀吉になるのかな。


まだ決まってないよ。


自分がどうありたいかが決まるまで。


ということで終わり!読んでくれてありがとう。いいねやコメントよろしくね。


じゃあ、また。


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