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大人になるって。

先日25歳になりました。
我ながらもう良い大人だなと思います。これは世の中的な、数字的な物差しでのお話です。

ところで、この人大人だなぁって思う人いますよね。
ここで話す大人っていうのは、未成年か成人か、という数字や法的な括りではなく、性格的なもののことです。

それこそ未成年から成人になる時、年齢という数字で明確に大人になる、を実感できるけれど、
性格的な意味を表すと、大人って言葉は漠然としたもので、辞書で引いても、1人前の人だとか、充分に成長した人、だとか、曖昧な定義でしかないんですよね。

でも明確ではない何となくの基準を持って、
あの人は大人だ、とか、逆にあの人は子供だ、とか、私たち判断しますよね。

この前、ふと私はまだまだ大人じゃないなぁ。って思った時がありました。 
25歳という数字を持っていながら自身の性格とのギャップを実感した経験をもとに深くこのことに関して考えてみました。

私が思う「大人」の定義、それを共有させていただきたいです。

大人って何だろう。

私が思う大人の定義、それは「感情をコントロールできる」ことだと思います。

感情には喜怒哀楽とそれぞれあると思うけど、
この喜怒哀楽といった感情を抱きつつも、表に出す前に一旦抑制させることが出来る人こそ大人なのかなと思います。

ってこれはあくまで私の考えですので、皆様それぞれのご意見あると思います。

ふーんって感じで聞いてください。

例えば赤ちゃん。眠くて泣いたり、お腹すいて泣いたり。それをしない赤ちゃんの方が怖いので、
赤ちゃんは紛れもなく子供ですよね。

大人だけど子供だなと感じる例もあります。

昔会社の同僚が、同僚同士の打ち合わせで喧嘩になりました。その2人って、確かに普段から感情の波が剥き出しなので、片方が相手にキレたらもう片方はしっかり応戦体勢に入ってたんですよね。あれはお見事でした。子供だなーって側から見て思ってしまいました。

電車の中で見ず知らずのもの同士、喧嘩するおじさんたち。あれも、片方が大人であれば発生しないのでは?とずっと思ってます。感情をコントロール出来ない者同士が生憎ぶつかってしまって起きてしまうんですよねきっと。

感情をコントロール出来ない

私は、メンタル疾患になってから、感情の起伏が大きくなりました。特に怒りの感情と、哀しみの感情を抑制出来ないことが増えました。

私は割とすぐに泣くタイプです。
悲しくて涙がでるならまだわかりますが、怒りの限界値を突破した時にも涙が出ます。

こんな自分がすごく嫌でした。

高校生の頃、一定のキャパを超えたら涙が出てしまうという特性が自分の中にあることに初めて気づきました。

そこから約10年、私は感情をコントロールするどころか、感情に振り回され続ける人生でした。

泣きたくない泣きたくない、と、唇を噛み止めても溢れ出る涙。

そして涙をポロポロ流しながら、私は子供だなと思っているうちに、大人ってこういう感情をコントロール出来てる人のことを言うのかなと気付いちゃったんですよね。

大人にならなきゃいけないわけでもない。

大人にならないといけないのかなと焦る時もありました。コントロールの出来ない感情をコントロールしようと努力して、より苦しくなったりしました。

大人っぽい人もいれば子供っぽい人もいる、
それで良いじゃない。そう思うことは出来るけど、それでもどこか優劣をつけてしまう自分がいて、優=大人になることだと潜在的に考えていました。

自分で作った大人と子供の定義によって、自分自身が勝手に優劣をつけて、自分自身を劣っていると落ち込む私。完全自爆。

でも、大人と子供の定義は私かなり自信があるんです!感情をコントロールするのが大人、出来ないのが子供。

子供っぽいまま生きることもできるけど、
大人っぽくなりたい、大人になりたいと私は思っています。

だから、通院して気分安定のお薬を飲んで
病気と向き合っているのです。

私は大人になることを目指す1人の子供っぽい大人



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